私たちは何かを考える時に、頭の中で言葉を使って考えます。心に浮かんだ事も言葉で浮かんでくるもんです。例え名詞にできない事柄でも「美味しいやつ」や「赤いアレ」みたいに、認識(もしくは差異化)した事実に関しては、言葉を使った記号列を当てがうことができます。つまり、世界(少なくとも、私が認識した世界)は言葉でできている、と言っても過言ではありません。逆に言えば、言葉にできていない事柄は、世界内で認識されていない=存在していないといえるでしょう。
猫の飼い主の皆様なら共感いただけるでしょうが、御多分に洩れず、チャーリーも名前を呼ばれた時に反応します。そして「ごはん」や「ブラッシング」などの快楽を伴う言葉にも反応します。チャーリーの人生には「戦争」「増税」「コロナ」などの、世の災い(禍)を表す言葉がありません。「事故」や「別れ」などの、身近に生じる悲劇を表す言葉も存在しません。つまり、チャーリーの世界は、カタストロフィーが存在しない「限りなくパラダイスに近い日常」の可能性が高いというわけです。どおりで、飼い猫って尊いくらいに穏やかしいですよね。唯一、飼い主が仕事している時など、かまってもらえない時に「にゃーにゃー」「ん~ん~」鳴くのが、ネガティブな感情を自覚した際の音声化された記号なのでしょう。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。
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