「俺、通訳になるわ」
中学二年生。進路を決める段になって、ジュンの爆弾発言。
「ネイティブの、帰国子女とかバイリンガルじゃなきゃ無理なんじゃねえの」
婉曲表現だ。実際、僕が言いたかったのは「英語の成績、そこまで良くないだろ」だ。
「世界を股にかけて、日本語に同時通訳するんだよ」
いやだから、英語ができないとダメだろ。
「おまえの親父さんは外国語ができるけどさ」と、そこまで言いかけて「ステキな夢だな」に落ち着かせた。三者面談では、いくらジュンでも現実的になるだろう。
一度目の三者面談を終えて、今度はジュンの変化球。
「高校、やめよう。一緒に東京に出ようぜ」
「中卒で働くのか」
「いや。青二塾に入るんだよ」
あおにじゅく。大手声優事務所・青二プロダクションの養成所だ。
「それで、声優になるのか」
「うん。だから高校には行かない。親にも内緒で、いきなり東京」
マジか。そりゃあラジオドラマ制作は楽しかったし、ここだけの話だが、僕の古谷徹のマネはかなり似ていたと思う。だが『中卒で声優になる』というのは、あんまりな大博打だ。
「問い合わせてみてくれよ。まずはそこからだろ」
「なんで俺が」と質すと「電話をかけるのが怖い。緊張する」と言う。
「わかった。俺がかけるよ」
僕は学校のすぐそばにある電話ボックスから、青二塾に問い合わせをした。入塾料とレッスン料に的を絞って質問をした。
電話を切って、外で待っていたジュンに「四十万円だってさ」と伝えた。
ジュンは少しばかり悄然として「ムリだな」と言った。
そもそも、家賃や光熱費、食費のあてもない。親に内緒で上京、からの、声優修行。無理もいいところだ。
あれはもう、いまから六年前のことか。
おとなになった僕は、KONAMIの某コンテンツで脚本を手がけることになった。アフレコにも立ちあわせて戴いたのだが、プロの声優は凄まじい。
主要キャストの技量は当然のことながら、モブを演じる新人への指示が殊更に凄まじかった。
かなり血腥い内容だったので、斬られ役が多い。収録時、まだ音響効果は入っていない。刀を振る『息』のあとに、悲鳴。
「とめて」
そのとき、音響監督が放った言葉が頭に焼きついている。
「本気で死んで。君たちはこれから収録が続くわけだから、喉を潰したくないんだよね。だけど、このキャラはここで死ぬの。だから本気で死んで」
新人たちの顔が締まった。そこからは、声を割りながら、裏返しながら、彼らは阿鼻叫喚のうちに死んでいった。
ト書きでは『次々に斬られて絶命』の一行だ。その一行を書いたときに、僕はここまでを想像していただろうか。
「もういいよ。さがって。他のひとが入って」
代わりはいる。音響監督は容赦なかった。これがプロの世界か。
あのとき無理に上京せず、ほんとうによかった。そう実感した。中卒では潰しもきかない。
「いまは声優を諦めるとして、高校はどうするんだ」
「うちの懐事情から言って、私立には行けない」
ああ、そうか。
ジュンと僕の『進む路』が決定的に分岐する。そのときが、もうじきなのだ。
人生が決まる。怖いし、緊張する。
だからジュンは、少しだけ悪足掻きをしたのかもしれない。
僕は単純に、現実を突きつければジュンの目が醒めると思っていた。
「四十万円だってさ」
「ムリだな」
『だけど、俺たちが本気で親に話せば、解って貰えるかも』
いや。僕がそう切り出したとしても「ムリだな」だ。
『高校だけ行って、そのあと一緒に上京すればいいんじゃないか』
その頃には、おそらく僕らの熱は冷めてしまう。やはり「ムリだな」と、ジュンは言うだろう。
『これからバイトして、金を貯めて、それから……』
何度シュミレーションをしても、あのときの結論は「ムリだな」の四文字に収束する。それでもよかった。もう少しだけ、悪足掻きに付きあえばよかった。もう少しだけ、子どもでいられればよかった。
「お好み焼き屋になろうぜ」
「十年後には広島だ」
小学生だった僕らは、もういない。
KONAMIの収録を終えて、僕はジュンに一報を入れたい衝動に駆られた。
ホンモノの声優は凄かったぞ。俺らのラジオドラマとは全然違う。照れたり恥ずかしがったりしている余裕なんてない。感動したよ。
だが、その報告をしたところで、なにも起きない。なにも変わらない。
中学生の僕らには、なんの覚悟も情熱もなかった。
ただ、現実逃避をしただけだった。
そのことに立ち返るだけのことだ。
僕は、当初の予定通り、私立の大学付属校を第一志望とした。
ジュンは「俺が受ける公立、私服なんだぜ」と、嬉しそうに言った。
酒井です。
先日、ぼんやり楓 (カエルデ→カエデ/ 第六話『赤い約束』) を眺めていて、ようやく花弁を見つけました。画像参照です。ほんとうに目立たない。
だけど立派に咲いているんだよな、と、紅葉にだけ目を奪われてちゃ勿体ないよな、と思いました。
もみじは、広島県の県木・県花です。
このたび、西日本で豪雨災害にあわれました皆様に、当サイトライター一同、心よりお見舞いを申し上げます。
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