第九回:文芸評論家/コラムニスト 水口義朗氏 〜『火垂るの墓』と野坂昭如

あの野坂昭如が、米袋を担いで歩いている。パリっとしたスーツ姿で、右肩に米袋。

当時、中学生だった私は目を疑いました。学校帰りで、あと数十歩で自宅です。

「あの、お伺いします、このあたりに冨士眞奈美さんのお宅があると聞きました」

「私の家です、すぐそこです」

尋ねられ、答えると、野坂さんは黙ってしまいました。シャイという印象。

お会いしたのは、これが最初で最後。母が戴いたお米と梅干は、大変に美味でした。

米。わたしの両親は、第二次世界大戦中に子ども時代を過ごしました。ですから、お米を大切にします。次回の金曜ロードSHOW! は8/17『となりのトトロ』ですが、やはり終戦の日前後は『火垂るの墓』であって欲しいものですね。


《おしえて!プロフェッショナル》

コーナー担当、リズです。

今回、十問十答にご回答くださった水口義朗さんは、作家・野坂昭如と時代を駆け抜けた方です。当時、編集者として中央公論社にいらっしゃいました。

水口さんは、本当に朗らかで、好奇心旺盛で、活動的! お会いした際にも、お電話でも、文壇の裏話や〝文学界の今〟を情熱的に話してくださいます。そのなかでもやはり、野坂さんとのエピソードは印象的です。


元々はCMソングの作詞、コントやバラエティの台本構成をしていた野坂昭如さん。テレビ業界で、〝なにをやっても永六輔にかなわない〟という思いがあったそうです。

コラムニストへ。そして、作家へ。水口さんは〝活字の世界への案内役〟として野坂さんと出会い、実に56年の歳月を共に過ごすことになりました。

その間に発表された作品が『火垂るの墓(1967)』です。

私などは、戦前・戦中を知る方々を〝歴史に翻弄された悲劇的世代〟と認識するのみ。ですが、水口さんによれば、

戦中に自我がめばえていた昭和一桁世代は、自分が戦争を生きながらえて戦後も生きたということに負い目がある

とのことです。

自身を〝焼跡闇市派〟としていた野坂さんも『火垂るの墓』執筆にあたって様々な葛藤を抱え、うしろめたさを覚えていたといいます。現実体験を小説という〝虚〟に置換した呪縛。最後の自伝では、

自分だけ逃げて生き残ったやましさ、負い目など、胸底にわだかまって書けやしない、いや作家としても、書く気になれない、思い出したくない

と、吐露されたそうです。

(*ここまで、2017年『オール讀物』新年号/『野坂昭如 昭和一桁世代の負い目』水口義朗〜参考・抜粋です)


昭和9年生まれの私の父は伊豆で疎開をしていましたが、「もう一年続いたら学徒出陣だった」「毎日カボチャ。カボチャが嫌いになった」という2点に戦争を集約していました。

母は私の防災頭巾を、頑なに〝防空頭巾〟と言い続けていました。なんでウチだけ?と不思議だったのですが……「空襲警報が鳴り、橋の下に逃げた。栄養失調の目で、沼津が真っ赤に燃えるのを見た」とのこと。

戦中・戦前生まれの両親を持っても、なかなかその悲惨を詳細に聞く場面は少なかったんですね。

やはり、先人から語り継ぐことが要。


当初、野坂昭如さんは〝自身の最も過酷な体験〟が小説になると気づいていなかったそうです。先に発表した手記を元に、30枚を4時間で仕上げたものが『火垂るの墓』。

その誕生秘話を水口さんから生々しくお聞きしたことは、私にとっても貴重です。

そして、野坂さん生前最後の一行(2015) が

この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう

であることも伺いました。心に刻むべき、恐ろしい言葉です。

戦争を知らない我々にも、できることがあるのではないでしょうか。



《今回のプロフェッショナルさん》

  • お名前:水口義朗さん
  • ご職業:文芸評論コラムニスト
  • 1934年生まれ、早稲田大学文学部卒
  • 『中央公論』副編集長、『婦人公論』編集長を2度、務められました。渡辺淳一さん担当編集者でもありました。1986〜1994年『こんにちは2時(テレ朝)』キャスター。お茶の間でおなじみ♪

1)ご職業をお聞かせください。 このお仕事に就かれて何年ですか?

文芸評論コラムニスト、約50年。編集者、テレビMCとして作家づき合い。

2)この職種の魅力、社会的役割はなんだと思いますか?

作家という時代の子は、悪魔であり、一瞬 神になる人間。かれらの黒衣であることの面白さ。

3)職業柄、モテるな〜と思うことはありますか?

黒衣(くろこ) はもてる。表舞台には出ないもの。

4)この職業を目指し始めたのはいつですか? なぜ目指そうと思ったのですか?

昭和34年(1959年)はまだ、大学は出たけれど就職難。

週刊誌ブームのために老舗・中央公論も週刊誌要員を募集。たまたま入社した結果。

5)「これが誇りだ」と思う、エピソード、モットーをお聞かせください。

野坂昭如をコラムニストから作家にし、56年間、死に際までつき合ったこと。

プロになれず、セミプロ編集者で、人の話を面白がって聞くこと。

6)「これだけはやめられない」お仕事と無関係の趣味はありますか?

小説、芝居、テレビ、仲間と話し、電話しあう。徹底してアナログ派。無趣味。

7)ヒット、バント、フォアボール、ホームラン。第一打席、どれを狙いますか?

気が短く選球眼がないので、ヒットが打てれば上等。

8)九回裏二点ビハインド。一死フルカウント、ランナーは一二塁。どれを狙いますか?

見のがし三振じゃサマにならないから、ともかく打ってみる。

9)この職業を目指す若人に一言。

好奇心の持続と、本が好き、字を書くことの喜び。

10)天国(極楽)に着きました。神様(仏様)は、あなたになんと声をかけると思いますか?

「まあ、来たんだから中に入りなさい」


《まとめ》

2)『時代の子』というのが印象的!そのときどきの社会に培われた感覚。水口さんご自身も仰っていましたが……やはり戦争は、戦中に生きた人々全員が経験するものですが、現代っ子にはそういう〝共通の体験〟がないんですよね。いま、象徴的なものってなんだろう?現代っ子は『時代の子』になれるのかな?

3)おモテになったのですね……表でなく、裏でw

5)『人の話を面白がって聞く』は、まさに水口さん。「その話、いいね。それで一本書けちゃうよ」と、作家を〝その気〟にさせていらっしゃいます♪

9)『字を書くことの喜び』これがね、デジタル派は弱いところですよね。自動変換に慣れすぎちゃって、読めるけど書けない漢字が増えてきた。自信が持てなくて、辞書ばかり引いています。


今回は〝8月〟〝野坂昭如さん〟というキーワードから、戦争のことばかりになってしまいました。あくまで『火垂るの墓』は文学作品であり、=反戦ではないのかもしれませんが、

忘れちゃうのだけは怖いな。

愛川欽也さんが反戦を訴え、愛川さんを偲ぶ会で大橋巨泉さんが「遺志を継ぐ」と宣言、そのあと大橋さんも逝ってしまいました。


昨今、表立って反戦運動をする必要はなく、個人の意思表示は容易です。もちろん投票でも示せるし、時事問題に対する意見をツイートしたっていい。賛同できる意見に『いいね』して、拡散するのもいい。


もうひとつ!書き手側が〝ネタにならない〟と思っている事柄も、編集者によっては拾いあげ、昇華させてくれることがあるんですね。文豪の傍に名編集者アリ、なんだな。

水口さんより、小説を書く皆さんへのメッセージ。

窮鼠猫を噛むじゃないと、モノは書けないんだよ。猫に噛みつきなさい


水口義朗さん、ありがとうございました!また面白いお話を聞かせてくださいね♪

次回は『アニメの生命線!音響監督の長崎行男さん』です(*´∀`)ノ

こう、ご期待♪


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