彭丹さんの 【いにしえの恋歌(筑摩書房)】を読んで

 《元カノ》や《イケメン》なる言葉が普通に使われていますが、僕はあんまり好きじゃないんです。そこはやはり《昔の女》や《いい男っぷり》と言った方が情緒があると感じます。かといって『美しい日本語』や『正しい日本語』ってのも堅苦しくてどうかと思いますが…。言葉は生き物ですからね~。言語感覚はその人のセンスが表れると思います。あっ、どうも岩崎(♂)です。

 今回は和歌と漢詩を比較し、その魅力を考察した彭丹さんの 【いにしえの恋歌(筑摩書房)】という本をご紹介させていただきます。

 かつては白川静先生が 【初期万葉論(中央公論新社)】にて『万葉集』と『詩経』を比較研究して古の人々の歌心を解こうと試みられていましたが、その考察は「古代には神や呪術が身近にあった」という「呪のフィルター」を通しての考察でした。故に万葉集に頻繁に出てくる《草摘み》や《国見》も呪歌であるという “ディオニソス的” 論調でした。

 【いにしえの恋歌】では《草摘み》を白川論と違うベクトル、「乙女心のフィルター」を通した “エロース的” 解釈がなされています。「春になれば若菜が芽生え、人が出会えば恋が生まれる」と…。そうです、【いにしえの恋歌】は《恋》が最重要テーマなんです! 時代を問わず、ディオニソスよりエロースの方が人の興味を引くことは間違いないと思うんです! 子供の頃に、花びらを一枚ずつちぎりながら「好き、嫌い、好き、嫌い……」なんて恋占をした人も大勢いるでしょうが、あれはディオニソス的な呪術行為というよりも、ロマンティックなエロース的濃度の高い《草摘み》遊びだったのではないでしょうか!?

【いにしえ~】によると、儒教の影響の強い古代中国では恋愛に対して厳格だった様で、漢詩は極端に恋歌が少ないそうです。それにひきかえ和歌は恋歌だらけです。確かに日本は、宮廷社会でも庶民でも、男でも女でも「恋人」がデタラメ的に多数いるのは当たり前の国ですからね~。戦が多い武家社会になると、情報の漏洩を恐れてか、武家は女性への管理が厳しくなりましたが、昭和の半ば位までは(地域によるでしょうが)庶民は相変わらず男女を問わず複数恋人制に大らかだった様で、その辺は赤松啓介先生の【夜這いの民俗学(筑摩書房)】に詳しく書かれています。

 また、日本人はよく分からない事象や感情に対するネーミングセンスが良い様で、【いにしえ~】では「もののあはれ」を取り上げています。確かに「もののあはれ」を外国人に説明するのは難しい気がします…。というか、日本人の僕でも意味がよく分かっていません! 最近の若者が使う「マジ卍」と同じ位に意味分かりません!「もののあはれ」も「マジ卍」も意味がよく分からなくても自分のフィルターを通して解釈し、可笑しみや深みを感じるのが日本人特有の感性なのでしょう。

 言葉は生き物で、進化していくものだと思います。100年後には「マジ卍」も「もののあはれ」かもしれませんね~。


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