にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険   ~エクリチュール~・第3話『弱法師』および、美術館に行ったら写真をバンバン撮りましょう

 3月の三連休初日、東京国立近代美術館で開催されている『下村観山展』に足を運びました。雨の予報だったので、客足が鈍ればゆっくり鑑賞できるだろうと考え、前日に予約を済ませて朝一番に勇んで向かいましたが……結果から申し上げますと、会場はかなりの熱気に包まれていました。

 本展の目玉が、重要文化財に指定されている『弱法師(よろぼし)』であることは間違いありません。しかし、この作品を深く味わうためには、いくつかの〝コード〟を読み解く必要があると思われます。一つは日本画の様式や技法というコード。そしてもう一つは、画題となっている『弱法師』そのものの物語というコードです。今回、私は後者に焦点を当てました。

 『弱法師』(俊徳丸・しんとく丸・身毒丸)は伝説上の人物であり、能や人形浄瑠璃、説経節など、さまざまな中世芸能民によって語り継がれてきました。ジャンルにより細部は異なりますが、物語の骨格は概ね以下の通りです。

 ⚫︎俊徳丸は継母の呪いにより盲目の「らい者」となる。

 ⚫︎継母の讒言により家を放逐される。

 ⚫︎四天王寺で乞食坊主として暮らす。

 ⚫︎清水観音や男山八幡の加護を得て、父親や許嫁と再会を果たす。

 これは一種の「貴種流離譚」ですが、業病を患い、観音に救われるプロセスには仏教説話としての側面も色濃く表れています。では、なぜこの物語がこれほどまでに中世芸能民に愛好されたのでしょうか。それは、マジョリティから排除されていく自らへの、切実な〝魂の救済〟であったからではないでしょうか。

 中世芸能民は「河原者」として忌避される存在でした。時代と共に権力に庇護されていった能狂言はさておき、琵琶法師などは、いつまでも「盲目」の業を背負った乞食坊主として扱われ続けました。しかし、社会の〝エピステーメー〟が変化し、そうした人々が管理や収容の対象となれば、職能民としての彼らは終焉を迎えます。

 滅びゆく芸能民にとって、盲目の俊徳丸は自らを投影したメタファーであり、彼が救済される結末は、自らの魂を肯定するための「ゴスペル」であったといえるはずです。

 現在、世界では複数の地域で戦火が絶えず、日本もまたその渦中に巻き込まれる懸念が現実味を帯びてきました。戦火の人々に一刻も早い救済が訪れるよう、政府には毅然とした対応を求めたいところですが……能の『狂女』を地で行くような人物がトップに座している限り、それは叶わぬ願いなのかもしれません。

 さらに最近では、博物館、美術館、図書館を潰すような方針を狂女の内閣が唱えてます。私は「美術館で写真を撮るな」のような論調には反対させていただきます。少なくとも、少しでもアートファンが増えていけば美術館を潰しにかかるようなことは、ファシストの狂女でも軽々しくはいえなくなると思います。美術館に行ったら、バンバン写真を撮って、SNSでじゃんじゃん拡散しましょう(もちろん、マナーの範疇内で)。それが文化を守る手段になるかもしれません。文化はみんなのものです。一部の特権階級が独占したり、破棄したりするものではありません

 我が家のチャーリーは目ヤニが多く、眼病予防のためにブルーベリーのサプリメントを飲んでいます。チャーリーの青い目には、今の世界はどのように映っているのでしょうか? 彼の認識する世界では、ただ静かに毎日が過ぎているだけかもしれませんが、もし戦争の影響でキャットフードの値上げが起きたら……。彼には心苦しいダイエットをお願いすることになるかもしれません。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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