【町山智浩・春日太一の日本映画講義 時代劇編】(河出新書)を読んで

 深夜のbarで若い子を相手にウィスキーに関するウンチクなんかを語ってしまうと、翌朝起きた時に「俺、めんどくせーおじさんになってないか!?」などと自問自答したり反省したりするもんです。あっ、どうも岩崎(♂)です。

 ウィスキーは同じ銘柄の商品でも樽の違いや熟成年数、ボトラーズによって味が変わってきます。

 何せ僕はウィスキー初心者の子にはアイラ系のシングルモルトの飲み比べ(味比べ)をやらせるのですが、その味わいが分かる子は「潮の香りがする」「スモーキー」「柑橘系」「バターっぽい」など多彩な表現ができるもんです。さぞや人生にも彩りがある事でしょう。

 その反面、味わいの分からない子は「正露丸臭い」の一言で終わりです。二度と誘いません。

 時代劇もまた然り。その魅力が分からないという人の言い分は「古臭い」の一言で終わり。思考停止です。

 昨今は時代劇にしろウィスキーにしろ、周りに教えてくれる人がいないと、その味わいを知らないまま一生を終えてしまうという人が増えてくるんでしょうね~。

 そんなこんなで、今回ご紹介させていただく本は【町山智浩・春日太一の日本映画講義 時代劇編】(河出新書)という本です。

 映画ファンなら町山さんと春日さんの名前がクレジットされているだけで買ってしまうんだろうな~(奥付の「注 作成協力:松崎まこと」にニンマリ)。


 僕はこの本の第1章『七人の侍』~日本映画の革命~ を読んでいて、ハッと思いついた事があります。「80年代に少年時代を過ごした人間と時代劇は相性が良いのでは!?」と。

 80年代中盤、長州力率いる維新軍団が新日本プロレスから全日本プロレスに主戦場を移しました。少年時代の我々はどきどきワクワクしたもんです。

 全日の社長のジャイアント馬場のプロレス観は「チャンピョン(主役)がリングの中央を陣取り、その周りをチャレンジャー(敵役)がうろちょろする」という “王道” という名の下の様式美重視の思想でした。

 ところが、長州たち(通称「俺たちの時代」)のプロレスは、登場人物たちがリング上を所狭しと暴れ回る臨場感溢れるファイトでした。

 そんな長州たちのプロレスをジャイアント馬場は “シャム猫の喧嘩” と揶揄したもんですが、我々少年ファンは “シャム猫の喧嘩” を支持したのです!

 かつては時代劇においても、スター(主役)がスクリーンの中央に陣取り、斬られ役(敵役)がスターに斬り込んでいって斬られるという様式があったそうです。

 ところが黒澤明監督の『七人の侍』では「見得を切ったり、立ち姿の綺麗さを出したりとかの様式が一切ない(テキストP.34)」野武士や農民がごちゃごちゃに入り乱れるダイナミックな戦闘 “シャム猫の喧嘩” が描かれています。

 そういう見方をすると不思議なもんで、野武士の抜刀がリキラリアットに見えてくるじゃありませんか!

 さらにですよ、黒澤は妥協を許さない撮影スタイルで有名ですが「斬る重み、斬られる痛みを伝える(テキストP.62)」殺陣にもこだわったと…。そう、それはまさに天龍イズムです。天龍といえば、どんな会場だろうと妥協しない「痛みの伝わるプロレス」を標榜していました。

 そんな事を考えていると、プロレスの凋落と時代劇の凋落が重なっている様に思えてきます…。

 

 【日本映画講義 時代劇編】を購入した先月の26日、春日さんのTwitterを拝見したところ、後楽園ホールで長州力引退興行を観戦している春日さんの写真がツイートされていました。

 やはりどこまでも「80年代に少年時代を過ごした人間と時代劇は相性が良い」様でございます。


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