G.ガルシア=マルケス〔著〕【純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語】(河出書房新社)を読んで

 今年も暗いニュースが多かったですけど、そんな中で一番の良いニュースはG.ガルシア=マルケスの【エレンディラ】の新訳が出たことでしょう。そこで余計なお世話かもしれませんが、エレンディラという14歳の娼婦が、なぜ世界中の人々を魅了するのか夜も眠らずに考えてみました。あっ、どうも岩崎(♂)です。

 今までのエレンディラは鼓直さん翻訳での新潮社【族長の秋】及び、ちくま文庫の【エレンディラ】で読むのがポピュラーだったと思います(当家の本棚調べ)。

 僕にとって鼓さんの翻訳は作中のシーンの〝匂い〟が漂ってくる程の完璧な訳でした。これにあえて新訳にチャレンジするということは、かなりの思い切った挑戦をする事になるなわけです。 そのチャレンジ精神は天晴れでござる。

 そこでまずは鼓さん訳と野谷文昭さん新訳の目次を見比べをしてみましょう。

(左:鼓版 右:野谷版)

 どうでしょうか? 野谷さん訳の方がデオドラント効果強めで、ソフィスティケートされている気がしますよね〜。

 鼓さんのトライバルな匂いに忠実な訳も好きですが、言葉や表現は進化するものです。今までは〝マジックリアリズム〟や〝神話的リアリズム〟という言葉でその魅力が表現されてきましたが、時代が進み、今まさにエレンディラの魅力を表現するのに最適な言葉が生まれたのではないでしょうか?

 ソフィスティケートされた【エレンディラ】を読んでいて僕は気がつきました…

 

 「これは『萌え』だ」と。


『萌え』は今でも外国語に訳すのが難しいといわれていますが、頑張っているエレンディラに対する「ただただ影ながら見守っていてあげたい」という感情は世界共通です。今まではその様な感情を表現する言葉がなかっただけなのです。そこで無理やりその魅力を難しい言葉を駆使して説明していたのでしょうが、エレンディラが世界中の人々を魅了するのは『萌え』の一言で大体説明がつきます。

 そう考えると【純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語】という長いタイトルもヲタ好きする様に思えてきた冬の夜でした。


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