リチャード・パワーズ著【舞踏会へ向かう三人の農夫〔上・下〕 】(河出文庫)を読んで

 パロディという笑いは、その元ネタを最大公約数の人が知っていないと成り立たない方法論ですよね~。例えば日本では『ドラえもん』や『サザエさん』なら誰でも知っているのでパロディとして使うには最適なわけです(『パチえもん』や『天才サザエボン』)。あっ、どうも岩崎(男の方)です。


 今回ご紹介させていただく本は、リチャード・パワーズ著【舞踏会へ向かう三人の農夫〔上・下〕 】(河出文庫)という本です。

 【舞踏会へ~ 】は27章立ての中を3つのパートが入り組んだ形で展開していく物語です。


 1つ目のパートは、移動する「私」のパート。「私」は移動の途中に立ち寄ったデトロイト美術館で、偶然目にしたアウグスト・ザンダーの写真に自分に似ている人物が写っている事に興味を持ち、その写真について調査を開始します。写真はこの物語の重要なガジェットになります。


 2つ目のパートは、1912年のドイツ・ベルギー国境近辺のぬかるんだ道端で、自転車に乗ったカメラマンから声をかけられた、3兄弟の農夫(アドルフ、ペーター、フーベルト)の物語。この3兄弟はそれぞれに戦争(舞踏会)に巻き込まれていく事に。


 3つ目のパートは、偶然見かけた赤毛の女性を探す、コンピュータ業界誌の編集者(ピーター・メイズ)のパート。ピーターは赤毛の女性を探しているうちに、巨大な遺産を相続する事に…? 果たして無事に相続できるか否か!? そして赤毛の女性の正体とは?


 この三つのバラバラに異なる時間軸、場所、登場人物の物語が、ポール・トーマス・アンダーソン監督の【マグノリア】の様にエンディングに向かって収縮していくのですが、【マグノリア】が24時間という短い時間軸の物語であったのに対し【舞踏会へ~ 】は20世紀全体を総括する物語です。

 また、哲学や物理学、写真論などの膨大な知識を駆使した “知的遊戯” も随所に見られますが、それらの箇所は本筋のストーリーには絶大的には影響してこないので、難しいと思った人はその箇所は流し読みしても大丈夫ですよ~ん。本筋のストーリーが『外』側、知的遊戯が『内』側だとしたら、外と内を縦横無尽にジャンプし、自由自在に行き来する様な文体は “文章的マンダラ” といえるわけで、マンダラなんてものは理解するのは難しいけど、何とな~く眺めて、何とな~く分かった気になる感じでいいと思います。パワーズやピンチョンの様にアシッドな時代を生きた小説家の文章は “マンダラ” だと考えれば、多少訳わかんなくても楽しめるのではないでしょうか。

 そして、大方の人は【舞踏会へ~ 】は20世紀をシニカルな目線で捉えた “文明批判” や “ポスト・モダン” として読むと思いますが、その読み方は正しいと思います。

 しかし僕はその一方で【舞踏会へ~ 】は “20世紀” という皆が知っている “世紀” そのものを “パロディ” したのでは? とも感じました。重要アイテムのカメラに関しても、写真を撮るという『時間』や『空間』を切り取る行為、写真に写る『見られる側』と『見る側』の連続した関係性は、森羅万象を物まねて(パロディして)表現する日本の古典芸能の様な感覚に近しいな~ と感じたわけです。


 某流派の哲学では、世界はひとつの巨大な「連続体」として取り扱われているといいます。連続体であるならば(どんなに傍観者を決め込んでも)誰しもが20世紀という『狂ったダンスフロア』の『ダンサー(共犯者)』なのかもしれません。21世紀がラブ&ピースなフロアになる様に「連続体」として意識を高く持たねばと、ぎゅうぎゅうに褌を締め直した冬のかわたれ時でした。

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