フェルナンド・ペソア短編集【アナーキストの銀行家】(彩流社)を読んで

 ニーチェは芸術家を『アポロ的』タイプと『ディオニソス的』タイプに分類したなんていったもんですが、ペソアという詩人は『アポロ的』かと思えば『ディオニソス的』に思えたり、『ディオニソス的』かと思えば『アポロ的』なんじゃないかと思えたりと、掴みどころがない感じがしますが、考えてみれば複数の異名(今風にいえばハンドルネーム)を使って作家活動をしていたペソアは、元々が多重人格的要素を持った詩人なので、掴みどころがない感じで当たり前なのでしょう。あっ、どうも岩崎(男の方)です。


 今回はフェルナンド・ペソアの短編集【アナーキストの銀行家】(彩流社)をご紹介させていただきます。

 ペソアといえば、ポルトガル最大の詩人というイメージが強いので、あまり小説のイメージがないという人も多いでしょが、【アナーキストの〜】はペアソの死後、トランクから発見された2万5千点以上にも及ぶメモ(ノート、広告の裏、カフェの紙ナプキン等)の中から7篇の短編を選んだ(選考理由としては、ペソアの作品の中でも完成度の高い)短編集です。2万5千点以上のメモの中から7編だけ選ぶのって、相当ご苦労の多そうな編集作業ですよね〜。紙ナプキンに書かれた文字を一生懸命解読している人がいるかと思うと微笑ましいもんです。

 では、まずは表題作以外の短編を極々簡単に説明させていただきます。

 以下掲載順に。

●『独創的な晩餐』ホラーっぽい作品なのですが「俗物」に対する皮肉や毒舌にはクスッと笑ってしまいます。

●『忘却の街道』騎馬隊の隊長が狂っていく【ドグラ・マグラ】的幻想世界。

●『たいしたポルトガル人』 “エルモア・レナード” 的小悪党たちの贋金にまつわる風刺の効いたコント。

●『夫たち』抑圧されている女性の夫殺しが、いかにキリスト教的愛の行為なのかの独白。フェミニズム運動の先取りと感じる人もいる事でしょう。

●『手紙』まるで【異形の愛】。奇形の女性が、愛する人に書いた届かぬ(届けぬ)ラブレター。

●『狩』美しい風景+人間狩りといったディストピア。

 と、多様な作風ですが、全体的には “奇妙な味” とアイロニーを感じさせます。


 さてさて、表題作の【アナーキストの銀行家】ですが、場面はレストランか自宅の食堂。

 登場人物は「私」と「私」の友人の銀行家。

 ある日の夕食後、葉巻をくゆらせながら銀行家が「私」に対して、いかに自分が本物の(理論と実践において)アナーキストであるかを説明するのですが、その説明内容が禅問答の様であり、弁証法的でもあり、屁理屈にも聞こえるという、本気なのか?  ペテンなのか? 本気だとしたら銀行家はク◯ク◯パーだし、ペテンだとしたら、それはそれで怖いという…。僕の感触だと、銀行家は… マジです…。

 銀行家の思想は、アナーキズムを自然や自由(善)ととらえ、社会的地位や社会的習慣を虚構(悪)ととらえての二元論からの出発なのですが、複雑なので記号化して説明させていただきますと↓

《AになるにはBをしなければならない。しかしそれはCになる可能性があるから、Bは否定する。しかしBを否定してしまってはDだ。ならば、Eはどうだろう?  EはDではないがCと同じだ。だが、Eを経験することによりFに至る。だがFは… G… H… I…………… Z… 結果、私だけが本物のAである 》

 てな感じです。

【アナーキストの〜】は知的ゲームとしての会話劇としても読めますし、シチュエーションコメディーとしても読めると思います。僕はキューブリックの【博士の異常な愛情】での、アメリカ軍基地内の会議室で、博士がアメリカ国大統領を「総統!」と呼んでしまったあのシーンに似た匂いを感じました。


 今でこそ数々のハンドルネームを使い分けてSNSをやっている人(多重人格的要素を持った詩人)は多いのでしょが、ペソアの時代ではクリエイティブスイッチが入ったら「とにかくメモる」。そんな紙ナプキンに書かれた戯言こそ、時代を超える本物の「つぶやき」なのでしょね〜。

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