オルハン パムク 著【わたしの名は赤(上・下)】(ハヤカワepi文庫)を読んで

 毎年この時期に、4月スタートのスケジュール帳を買うのですが、去年はうっかりしていて、マス目が日曜日から始まるスケジュール帳を買ってしまいました。例年は月曜日始まりのスケジュール帳を使っていたので、この一年は何だか時間の感覚がデタラメでした。今年はちゃんと月曜日始まりのスケジュール帳を買ったので、正しい時間感覚で生活できると思っているのですが… あっ、どうも岩崎(男の方)です。

 今回ご紹介させていただく本は、オルハン パムク 著【わたしの名は赤(上・下)】(ハヤカワepi文庫)という本です。

 16世紀、オスマン帝国の首都イスタンブール。

 12年の放浪の旅から帰ってきた “カラ” は “おじ上” のもとに挨拶に向かう。その実の目的は、12年前、旅に出る前に求婚した従妹の “シェキュレ” に再び会うためだった。

 その頃おじ上は、皇帝の命令で装飾写本の『細密画』を描く “名人絵師” 達をプロデュース&ディレクションする役職に着任していたのだが、その細密画を出発点とした連続殺人事件が起こり、カラは皇帝の命令で殺人犯を探し出す探偵役に任命されてしまった。

 カラに与えられた犯人探しのタイムリミットはたったの3日間。はたして…


 てな感じのラブストーリー&ミステリーで物語が展開していく【わたしの名は赤】なのですが、『細密画』ってのは一体何なんだ!? という方もいることでしょうから、まずは簡単に『細密画』を説明させていただきますね。

 聖書やコーランの教えでは偶像崇拝が禁じられているのは皆さんご存知だと思います。宗派にもよりますが、厳格な宗派では肖像画をはじめとした絵画なんかも教義に反するものとみなされます。

 ところが、何にでも「抜け道」はあるものです(法治国家で行われている「脱法行為」や「政治献金」みたいなもんです)。本の挿絵や装飾罫線、装丁や書体のデザイン化などは偶像崇拝に該当しないとされていました。その様な背景から発展したのが『細密画』です。

 オスマン帝国では「細密画ならギリ合法」という事で、神話や叙事詩の写本がジャンジャン作られていったというわけです。

 写本を作る絵師達は、古の名人の伝統を受け継ぐべく、徒弟制度の中で師匠から写本の技術を学び、さらにその次世代に技術を伝えていったのですが、そこにはオリジナリティーより伝統的技術を重んじる傾向があります。その思想は日本画や伝統芸能に近いのかもしれません。

【わたしの~】では、皇帝から “おじ上” に、伝統的な細密画に『遠近法』や『陰影法』などの西洋絵画的技法(近代的技法)を取り入れる様に下知が下されます。その伝統と近代化の間で、主要登場人物が章ごとに語り部となり、伝統やアート、宗教観や美意識などの各々の思想を語り、さらにその中で、件の殺人事件のヒントになる様な事についても語られていきます(たまに “死” や “金貨” などの、概念や物などを擬人化して語り部にする事も)。

 カラとシェキュレのラブストーリーも、伝統的な教典の教えに従うならばスムーズに進展できないという事になりますが、シェキュレが結構な知恵者で、中々のやり手なんです。女性の方がやり手というのは、近代化(カラ「赤」とシェキュレ「青」を使う『色彩的遠近法』)の象徴なんだろうな~。


 一つの事件を複数の語り部が語るという構成は、芥川の【藪の中】と似ているのですが、【藪の中】は語り部たちの証言がバラバラで、不透明決着な感じが表現されていましたが、【わたしの~】では、ちゃんと事件の解決とラブロマンスの決着に向かって話は展開していきます。その辺はきちっとエンターテーメントしています。


 はっきり言って、犯人探しのミステリーという点においては、日本の新本格派やメタ・ミステリー、バカ・ミステリーの方がよっぽど楽しめますが、【わたしの~】では、16世紀の細密画の事について考えるという、正しい時間感覚の外側を堪能できるという面白さがあります。訳あって時間を持て余している様な人は、たまにはデタラメな時間感覚を楽しむのもよいのではないでしょうか。スケジュール帳の装飾を眺めつつ、日曜だろうと、月曜だろうと。

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