記号や文学の研究者であり、日本の俳句の大ファンだった構造主義のビッグスター、ロラン・バルト。バルトはカルチャーやモードの批評家としても活躍しましたが、その本を読んでいると、記号や言語に関しての様々な述語が出てきますね。中でもバルトの述語で一番有名なのは〝エクリチュール〟ではないでしょうか。
バルトの使うエクリチュール(デリダの使うエクリチュールとはディテールやニュアンスに違いがある様ですが)とは、その人自身が選択して使用する、特定の社会集団で使われている『ことばづかい』や『〇〇口調(業界口調とか)』の様な概念装置と考えて差し支えないでしょう。例えば、ギャルに憧れている女の子はギャル語(ギャルという社会集団に採用されている口調)を使用する様になりますね。ギャル語の使用を選択した女の子はギャル風のメイクをする様になり、ギャルのファッションを取り入れる様になるでしょう。エクリチュールは、それを選択した人の性質や人格に大きな影響を与えるようです。政治や評論に関する言論では、タカ派や極右論者で乱暴者(脳みそ筋肉系)のエクリチュールを使用している人たちがいますが、そのような人たちは再軍備を唱えたり、核武装を叫んだりします。「人のふり見て我がふり直せ」なんて言いますが、言葉遣いには気をつけないと、本当に危なっかしい事になりかねませんね。
最後に、バルト著の【エクリチュールの零度〈ちくま学芸文庫〉】の注釈から、アンガージュマン(これはサルトルの述語として有名ですが)を引用させていただきます。〝具体的状況の中に置かれた人間、特に知識人、芸術家が、そうした状況を傍観したり甘受したりすることなく、積極的に社会、歴史、存在に参与しようとすること。社会参加、責任敢取、自己拘束(以下略)〟。
戦争反対の意思表示を「無意味」と軽々しく切り捨てる人も多いですが、アンガージュマンすることから何か意味が生まれてくるかも? と考えてみてはいかがでしょうか。少なくとも、見て見ぬふりをするより精神は安定するはずです。あっ、どうも岩崎(男)です。
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