『シェイプ・オブ・ウォーター』のレビュー

酒井です。

第90回アカデミー賞、作品賞など4部門受賞。

監督はギレルモ・デル・トロですが、彼の作品は『パンズ・ラビリンス』しか観たことがありません。 あとは、KONAMI『サイレントヒル』のプレイアブルティーザー『P.T.』の実況動画(笑) あれ、面白そうだったのに。制作中止は残念です。

さて、『シェイプ・オブ・ウォーター』につきまして。 

まず、結論から言うと、個人的には「なぜオスカー?」でした。アカデミー会員寄りでもないし、観客を選ぶ内容だと感じました(理由は後述)。 そして、あのクリーチャー(半魚人)が、苦手なひとは多分苦手。自分には戦隊モノの怪人のように見えてしまいました。

ヒロインのヒロインたる設定や振る舞いもスルッとこない。そのアイデンティティーの源が発話障害にしかないため、彼女に『リアルな人生』を感じませんでした。ファンタジーであり寓話なので仕方がないのかもしれません。 だとしたら映像で楽しみたいのですが、半魚人がどうにも……。

自宅浴槽に入れるとこは『スプラッシュ(1984)』です。ポイントは冷戦時代ってところですかね。 

こっから若干のネタバレも含むので、映像とリンクを挟みますね。 

  (以下、ネタバレ) 

 ひっかかったのは、異生物間のフィジカルな接触です。

 それを『愛の表現』とするか『生物的行為』とするかでも違ってくるんだと思いますが。あくまでも『種の壁』は飛び越えたくないんですよね。 意思疎通ができればアリなのか? そのうえで合意が得られればアリなのか? 

 同様の問題を含んでいるのが、プルートとグーフィーです。

 同じ犬でもミッキーからして、プルートは『ペット』、グーフィーは『友人』の扱いを受けています。調べてみると、グーフィーは『人間の姿をした犬』なのだそうで。まさに、今作の『半魚人』のようなモノですかね。だとしたら、ミッキーとグーフィーの関係がBLに発展してもいいわけです。

 逆に言うと、なにかと叱られ、躾けられているプルートが可哀想に見えてしまいます。同じ犬なのに、発展形が見えません。まあ、相手はネズミですが。

 他に思い出したのが『カンフー・パンダ』の、『肉まん大好き』な主人公・ポー。彼が住む村の住民、40%くらいが豚なんです。牛も鳥も兎もいます。何肉の饅頭なんだね。

 『喰っていい生物』と『喰ったら禁忌な生物』。その境界線は? 

奇しくも、ギレルモ・デル・トロは『カンフー・パンダ2』の製作総指揮をしていました。 

『擬人化によるファンタジー』と『人化した生物(もしくは人の近縁種)によるファンタジー』。アニメか実写か。観客層の違いも承知のうえ、敢えて問いたいところ。

 話を今作に戻します。

 作中、『悪の権化』のような軍人がヒロインに肉体関係を迫るシーンがあります。「君は美人でもないのに」としたうえで、『彼女が発話障害者であること』に興味があるといった台詞回しです。この軍人は彼女の手話が解りません。ですが、拒まれていることは解っています。だからこその、セクハラです。下衆です。 

 察するに、この部分をコントラストとしたいのでしょう。

 半魚人は、相手の感情が理解できるので、手話も理解できるようになっていきます。だからこその『愛の行為』だと言いたいのでしょう。純粋だと言いたいのでしょう。 だけど、どうにも……。モヤモヤするんだよなぁ。    

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