ミッドナイト!? ロンリー・ボーイ、ロンリー・にゃんにゃん!!

 ここまで違うかッ!!  と思いました。違えば違うもんですねぇ。と申しますのも、先日、激ヒマを持て余していたので、某動画配信サービスにて、映画を連続してボけ~ッと見ていたのですが、『ミッドナイト・アフター』という香港のホラー・コメディーを見ていてピピーン! ときました。「これは、ベルナルド・ベルトルッチ の遺作である『孤独な天使たち』と同じモチーフで作られている!」と。

 そのモチーフとは、デヴィッド・ボウイの『Space Oddity(『孤独な~』ではイタリア語バージョン『ロンリー・ボーイ、ロンリー・ガール』)です。

 両映画には別々の原作小説があるので、ストーリーや設定自体は全然別物なのですが、ボウイの楽曲を映像表現するという点においては同じメタファーを内在しています。

『孤独な~』では、どこまでも孤独を愛し、地下室に引きこもる14歳の少年と、薬物中毒で破滅型の腹違いの姉の数夜の交流を叙情的に表現。『ミッドナイト~』では、原因は不明だけど、バスに乗った17人以外の人類が消えてしまった世界をコミカルに描いています。同じ出汁を使いながらも、作風はまるで違いますが、はっきり言って私は両映画とも大好きです。ソーメンと二郎系ラーメンくらいに味は違いますが、両者ともグッジョブです。

 ところが、レビューサイトを見てみると、辛い意見が多いのが不思議です。その多くは「伏線が回収されていない」とか「意味が分からない」などの意見です。

 いつの頃からか「上手に伏線回収するのがいい作品である」や「分かりやすい作品が良作である」という風潮が生まれましたね。そしてその風潮は当代に蔓延していますが、はっきり言ってその風潮に同調するのは危ういのではないでしょうか。

 視聴する皆が伏線を回収されるのをただ待っている、というその姿勢は、アート作品や純文学などの「最後は見ている人の感性に委ねられる」的な、作家側と、その作品を見ている側の〝感性の交感〟の放棄に他なりません。また、「意味が分からない」のは作品が悪いのではなく、その多くの原因が、そこに象徴されている何かや、暗示されているコードが見えていない・読めていいない(=理解できない)というだけで、私はそれが分からない時は自分の勉強不足と反省します。

 ただ、意味が分からない作品の中には、本当に意味不明なだけの駄作も多いですし、伏線回収に関しては、回収が見事すぎて、ただただ感心してしまう良作が多いのも事実です(私は全ての伏線回収を否定しているわけではありません。念のため)。

 私は「デヴィッド・ボウイの曲や、その詩の素晴らしさを理解できた時から人は大人になっていく」と思っています(ボウイそのものではなく、ボウイ的な何かでも)。いつまでも「伏線回収」や「意味が分からない」と言っているロンリー・ボーイ、ロンリー・ガールは、まだボウイ(や、それに匹敵する何か)に出会ってないのかもしれませんね。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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