サル、ゴリラ、チンパンジー。
運動会の入場行進曲は、定番の『クワイ河マーチ』だった。全校合同のリハーサル中、僕はC組を抜け出して、A組に紛れ込んだ。そして定番の替え歌である「サル、ゴリラ、チンパンジー」を頭のなかで歌っていた。
隣のジュンは、声を出して歌う。
「ハム、サラミ、ソーセージ」
霊長類ではなく加工肉。まさかの発想だった。
「なにそれ」
「美味そうだろ」
あれはジュンのオリジナルだったのか。それともテレビかなにかで覚えたのか。いまとなっては確認のしようがない。
二年生になっても、ジュンと僕は同じクラスになれなかった。
マン研をつくろう。
そのアイディアを形にしなくては、またクリーニング屋のユウキに打ち負かされる。
動き出せないまま、気づけばもう五月の中頃だ。顧問だけでも決めておかねばならない。
職員室をうろついて、僕は社会科のスギタに目をつけた。二十代のサブカル系で、堅苦しいところもないし、なにより暇そうにしている。
顧問を頼むと、二つ返事で引き受けて貰えた。 ただし、部員は五人以上集めること。それが創部の決まりだった。 ジュンと、あと三人。 部員勧誘開始。
そもそも、マン研のない中学というのも珍しい。
ヘタクソなチラシを配っただけで、十人ほど集まった。ニーズはあったのだ。めでたく創部が決定する。楽勝じゃないか。
だが話し合ってみると、活動内容の認識に食い違いが生じ始める。マン研、つまり『マンガ研究会』の趣旨とは『マンガを研究』すること。イコール『マンガを描く』ことなのか。
描きたがらない生徒もいた。インプットかアウトプットか。
顧問のスギちゃんは「読むだけじゃ活動にならないよ」と言う。
アウトプット必須だ。未提出者が出ることを念頭に、冊子を発行することになった。
ジュンと僕は職員室のコピー機を借り、ホチキスとテープで冊子を綴じた。
ぜんぶで五作品。イラスト一枚という部員も二人いて、それは実に薄っぺらなものだった。
コマを割ったのは女子ひとりと、僕、ジュンのみ。
どこで入手したのか、女子は本格的な画材とスクリーントーンを駆使している。
ケント紙にサインペンで描いただけの僕らは、彼女に表紙と巻頭を任せた。
完成品をぱらぱらとめくる。
ジュンは「グルメマンガを描く」と言っていた。
実際にはレシピマンガだが、その内容はセンセーショナルだった。
タイトルは『目玉丼』。白米を炊き、熱したフライパンにバターを溶かし入れ、卵を割る。半熟で火を止めて、白米のうえに『目玉』を乗せる。最後に醤油をかけて完成。
シンプル。
「これ、美味いのか」
「あたりまえじゃん」
当たり前、なのか。
中学生の僕にとって、卵と白米がエンゲージするのはTKGにおいてのみ、だった。たまごかけごはん。生の溶き卵しか、ごはんに合わせたことがなかった。
そして、目玉焼きには塩と胡椒。ベーコン、サラダ、パンを添える。それが我が家のやりかただった。
こうあるべきとインプットされたら、他のやりかたは試さない。目玉焼きならナイフとフォーク。丼の出番はなかった。
描いたマンガも、ありがちな型をなぞった面白みのないものだ。
狭い場所で、ただ間違わないように既存の回答を繰り返す。 そういう僕の臆病は、いまも変わらない。
↑ 鮎:ぎゃ〜。
僕はセンセーションを密やかなものとして、ジュンには何も言わなかった。
帰宅して、台所に母親がいないのを確認し、目玉丼に挑戦する。なるほど、これが醤油とバターの力。卵白も固まっていたほうが食べやすい。
僅かながら、僕がアップデートされた瞬間だった。
あの替え歌も、加工肉で構わないのだ。
ジュンの自由で柔軟な発想力。いまでも羨ましく思う。
大袈裟な話になるが、目玉丼は突破口だった。とりあえずは試行錯誤に足掻いてみる。
岩崎君に訊いたら、彼も『目玉焼きには醤油』だったそうだ。マイノリティーは僕のほうなのかな。
自分で気づかないまま少数派に属するっていうのは、なにかと厄介だったりする。変わり者と見られてしまう。
だが、この二ヶ月。ジュンのことを思い出すうちに「それでもいいんだ」と思えてきた。
画像は、狩野川の鮎と天城の山葵です。鮎が不憫に見えますが、美味しく戴きました。
伊豆は良いところです。酒井。
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