中学三年生の二学期以降は、肋のしたの疼痛に支配されている。
担任教諭は「ひとりとして中卒者を出したことがない」というのが誇りで、級友全員に一段下の高校を志望するよう勧めていた。
鶏口となるも牛後となるなかれ。有名校のドンジリより二流校の首席。挑戦はするな。
僕もまた、諭された。「合格は絶対じゃない。どうしてもと言うならコネを作れ」と。
結果、滑り止めのランクを絶対安全圏に置くことにした。
スポーツ推薦を受けられるような校風ではない。部活も委員会も、三年生になったら引退。受験、受験、受験。合格か不合格か。勝ちか負けか。
二月の寒い朝。第一志望校の教室へ足を踏み入れ、受験番号が貼られた席に着く。在校生が削ってくれた新品の鉛筆が三本、消しゴムが机上に並ぶ。
心拍数があがる。開始のベルが鳴るまで、誰もが心細さを覚えている。
知り合いの顔が見たいか? 見ないほうがよかった。
「おう、おまえもここを受けるのか」
出くわしたのは、クリーニング屋のユウキだった。相変わらず、僕よりもジュンとの距離が近い男。どうしたって、(ある理由から) 僕が超えられない壁。
彼は屈託なく微笑んだ。
「お互い、頑張ろうな」
僕は歪に口角を上げ、痙攣に近く頷いた。間もなくして、開始のベルが鳴った。
先に合格を決めたミツキと、誰もいない技術室で過ごす。この頃は、登校する三年生が少なかった。県立高のほうが試験日が遅かったのだと思う。ジュンもいなかった。
糸鋸の台に囲まれ、技術の教師が右手の人差し指を失った事件について話した。生徒に声をかけられ、振り向いたときに誤って切断してしまったらしい。本題に入るまえの、イントロだ。
「よかったな。合格が決まって」
「まあ、落ち着いたかな」
本題。沈黙。そこへ担任教諭が上機嫌に現れて「ここにいたか」とミツキの肩を揉み始めた。
「俺の記録もおしまいだと思ってた。おまえが教え子初の中卒になるって、な」
ミツキが俯く。担任はお構いなしに続ける。
「本当によくやった。そうだ、鰻重を奢ろう。ふたりに奢る。内緒だぞ」
「俺はまだ受かってません」
「滑り止めは受かっただろ。行こう、旨い店だ」
そんなに奢りたいのならと、鞄を肩に掛けた、そのとき。ミツキが跳ねあがるように立ちあがり、廊下の便所に駆け込んだ。
首を傾げる担任を置き去りに、僕は彼を追った。
個室から、嗚咽が聞こえた。「悔しい」と呻いていた。
数日を経て、僕にも審判の日がやってきた。
第一志望校の合格発表。まだ息が白く、マフラーが必要だった。
校門をくぐり、向き合った掲示板に、整然と三桁の数字が並ぶ。よせばいいのに、僕は受験日にユウキの番号を視認して、記憶していた。
先にユウキの番号を見つけた。彼は、合格だ。
数字を追う。何度か確認をしたが、そこに僕の番号はなかった。
境界線は明確だと思っていた。合格か不合格か。勝ちか負けか。
どちらでもない。補欠合格の欄に、僕の番号があった。
ユウキは、より難関の高校に受かって、入学を蹴った。そのため、僕が繰り上げ合格となった。
合格。だが、負け。
ずっしりとした入学書類を渡された帰り路、僕は電車に乗らず、ひたすら線路沿いを歩いた。
悔しい。ミツキの「悔しい」とは違う。努力はしたものの『何か』に及ばなかったのは同じ。それでも、種類が違う。
こちらには、まだ選択肢や決定権があると思えた。
感情が昂ぶっていたのか、思春期の一幕を演じたくなったのか。僕は、まだ親にも見せていない合格通知を破り捨てた。滑り止めに進もう。そう決めた。
それからの数日間は、耐え難かった。
祖父母、叔父や伯母まで集められ、一族をあげての説得が続いたのだ。
「贅沢を言うな。くだらないことは忘れろ」
「合格は合格だわ。滑り止めとじゃ雲泥の差よ」
「誰が学費を払うと思っているんだ。おまえが決めることじゃない」
合格通知などなくとも、問題はないらしい。あれはただの記念品なのか。
一族に限らず、父親の知人や隣家のお兄さんまで動員されたところで、決心が折れた。
「わかった。補欠で入学する」
負けのうえに負けを追加。予想外の形で進路が決定した。
このことは、ジュンにもミツキにも話さなかった。しかし、ユウキからジュンに伝わるのではないかと、気が気じゃなかった。
実際のところ、ユウキは僕の番号にも合否にも関心がなかったようだ。
ジュンは、県立の志望校に合格した。一時期は私立を受けることも検討したようだが、姉さんが県立なのに自分だけ私立には通えないと、断念したそうだ。
受験を境に、不登校の者が増えた。
出席日数さえ足りていれば卒業できる。そういう生徒も多かったが、不合格を恥じた優等生も教室に顔を出さなくなった。
まえに登場したカンダは、悠々と最難関校合格を決めた。
同じくらい優秀だったサトウは、大雨のなか、公園でずぶ濡れになっているのを見かけた。まさに思春期劇場、挫折の一幕。絵に描いたような光景だった。
ジュンやミツキ、僕らは卒業まで登校した。
すっかり緊張から解放されて、ふざけあって、子ども時代のおわりを過ごした。
最後にジュンが語った将来の夢は『エジプト考古学者』だ。お好み焼き屋、通訳、声優。いろんな夢があった。
一方のミツキは「東京で就職して、がん保険に入ってマンションを買う」と宣言した。
それから先、僕らは絵空事を言わなくなった。
酒井です。シビアなネタが続き、申し訳ないです。読んでくださっている方に御礼を。
この話の結末、次回作の相談と、諸々ありまして。スローダウンしています。今回の本文中(ある理由から)の内容を書くべきか、未だに検討中です。
画像二枚目の岩山は、駿豆鉄道大仁周辺。ユニークな岩山ですよね。。
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