先日、国立西洋美術館で催されている『キュビスム展―美の革命』に行ってきました。何だかんだで、数ある展示作品の中で私の印象に残ったのは、主役であるピカソやブラック、ドローネーよりも、キュビズムとは無縁と思われがちなシャガールやモディリアーニでした。いわゆる「主役を食う」というやつですね。特にシャガールの『婚礼』は私の目を一番引いた作品です。
キュビズム展と銘打っている以上、キュビズム作品がメインなのは当然なのですが、続々と展示されているキュビズム作品から感じる〝特有〟の理屈っぽさ(や、若干の暗さ)にちょっと飽きてきたな~、と思っていたら突然のシャガール。『婚礼』は、おとぎ話の世界から飛び出してきたような、ほんわかとした、いかにもシャガールな作品なのですが、キュビズム的表現も取り入れていて、色彩といい構図といい、私には一番輝いて見えました。こんな演出をされたら、シャガールファンは悶絶間違いなしですね。
この「主役を食う」感覚はどこかで味わったことがあるな… と思い、頭の中の引き出しを引っ掻き回してみたのですが、何年か前に三菱一号館美術館で催されたイスラエル博物館展でのレッサー・ユリィ『雨のポツダム広場』を見た時の感覚、あの時の感覚に近いのではないか? 私の主観は私にそう訴えかけます。
私は常々、キュビストのうち誰か一人ぐらいはフッサールの現象学の影響を受けたアーティストがいるのではないか、と考えてきました。「過去把持→原印象→未来予示」という直観経過を平面で表現する試み、これはまさにフッサール的だよな~と、思っているのですが、エビデンスが見つからないので私は口をつぐむしかありません。
どなたか私の説を裏付ける情報をお持ちの方は、ぜひご一報くださいませ。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。
0コメント