皆様は「goo」の地図が、江戸時代の古地図と現代の地図に切り替えて見る事ができるのをご存知でしょうか? あっ、どうも岩崎(♂)です。
自分の住んでいる場所を古地図で探してみるのも面白いでしょが、古地図を見ながら情緒がありそうな町を散歩してみて、昔の町並みや地形が、現代のそことどの様に変化したか観察するのもなかなか面白い事と思います。
しかし、歩きスマホはマナー違反。そもそもスマホ見ながら散歩なんてぇのは色気がありません。
買っちゃいまっしょ。ポケットサイズの江戸古地図。「書を捨てよ町へ出よう」なんて事をおっしゃた方もいた様でございますが、「古地図を持って町へ出よう」という寸法です。
今回は防衛省から東京ドームシティあたりの「江戸城外堀」沿いを散策してみましょう~。
JR市ヶ谷駅で電車を降りますと、お堀に橋が架かっております①。かつては「市谷御門」と呼ばれていた様でございます。その橋を渡りますと太田道灌が開いたという「亀ヶ岡八幡宮」②なる神社がございますが、古地図を見ますと昔は「市ヶ谷八幡」と呼ばれていた様でございます。神社入り口の階段を見ると、高低差がはっきりと分かりますよね~③。
亀ヶ岡八幡宮の西側、現在の防衛省④の広大な敷地は、元は尾張徳川家の上屋敷でございましたが、現在も軍事利用されているという事は、よっぽど立地が良いのでございましょうね~。
さて、お堀沿いを「牛込御門(現在の飯田橋駅)」方面に歩いて行きますと、大日本印刷⑤と中央大学が並んで建っておりますが、江戸の昔は「定火消御役屋敷」なる、現在でいうところの消防署的なお屋敷が設置されていた様です。その横の細道「浄瑠璃坂⑥」は今もその名を現代に伝えております。この辺は外堀を掘った土を盛って造成した土地の様でございます。
牛込御門を過ぎますと名画座として名高い「ギンレイホール⑦」が見えてまいります。ここは「軽子坂⑧」なる坂道が現在にその名を残しておりまして、かつては土岐藤兵ヱなるお侍さんのお屋敷があった様でございます。
「揚場河岸(現在の揚場町)」を過ぎ、外堀通りと目白通りの交差点⑨をこえて「小石川御門」方面に足を進めますと新宿区から文京区に入ります。
小石川の交差点あたりを歩いていると、途中で史跡の紹介の様な看板がございました⑩。岩瀬市兵衛なる人のお屋敷があった様ですね~。現在は大層なオフィスビル街でございます⑪。
そしてやっとたどり着きました! 今回のゴール「東京ドームシティ⑫」。ここは元は水戸徳川家の上屋敷。水道橋なんて名前が残ってますが、かつては神田上水が水戸屋敷を貫通していて、後楽園の庭の池はその水を利用していた様でございます。
今回は小一時間のショートトリップでしたが、歴史雑学をサーチしながらの散策でしたので思ったよりも充実感が得られた気がしました。
如何せん、今にも雨が降りそうな天気でしたので早歩きでやっちゃいましたが、次回はじっくりと神社仏閣や史跡などを散策したいと思いまーす。
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