紀元前400年頃、古代ギリシャの都市国家アテネでは、早くも民主主義政治が行われていましたが、その時代の天才哲学者プラトンが著した『ゴルギアス』によると、古代ギリシャの時代から政治家の不正は酷かったみたいですね。
同書の中では、プラトンの師であるソクラテスが、カルクレスという政治家に対し、不正について問答をふっかけています。つまり不正について糾弾しています。たとえ相手が権力者であろうとも、不正について糾弾していけば、いずれは国は善的な国家になる(少なくとも、徐々に近づいて行く)はずです。
プラトンは西洋思想の祖と言っても過言ではありません。そして彼の本は今でも世界中で読まれています。つまり西洋化された社会(民主主義国家)では、その基本的教養を身に付けた人達の手により、国を理想国家に進歩させることが可能です。
しかしプラトンから2000年以上たった極東の島国『日本』という国では民主主義が敷かれていますが、今だに政治家(主に与党議員や保守系議員)は不正を止めません。止めないどころか繰り返しています。
これには政治家といわれる人達の「人間としての程度」が「昔から変わっていない」や、あるいは「進歩していない」などの意見があると思うのですが、それは違うと断言できます。
政治家といわれる人達の人間としての程度は、はっきり言って古代ギリシャの時代より劣化しています。反知性・反理性的な人たちが与党議員として国を運営しています。
少なくともカルクレスは、ソクラテスとガチンコで議論を戦わせられる位の〝知性〟や〝言葉〟を持っていましたが、現在の日本の悪徳政治家に、ソクラテスと討論できる位の〝知性〟や〝言葉〟を持っている人はいるでしょうか? 原稿用紙をただフガフガ棒読みしているだけの凡庸なオジさんが、ソクラテスの問答に答えることはできるでしょうか?
ちなみに私はプラトンのファンではありません。しかし、温故知新といいましょうか、たまには古典でも読んで何かを感じるのもアリだなと思い、最近プラトンを読んでいます。次は彼の代表作の一つ『饗宴』でも読んで、エロスについて深く考えようかなと思っています。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。
0コメント