鬼退治!? にゃんにゃん民話館!!

 鬼はなぜ退治されなければならないのか? 一般的にいわれている説に従うならば「鬼とは記紀や古史古伝に出てくる『土蜘蛛』や『蝦夷・夷俘』などの『まつろわぬ民』の比喩表現であり、〝征伐〟されて当然の存在である」ということなのだとか。『まつろわぬ民』からすれば、ただ静かに暮らしていただけなのに、急に他部族に侵略・占領されてはたまったものではない。

 そんなことを考えていた昨今、私は偶然的に興味深い昔話をサンプリングした。これは現代の『鬼』を考える上でも非常にタイングがよい。

 まずはあらすじを紹介しよう。


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① 親スズメは毎年卵を産み、子スズメを育てていた。しかし毎年鬼が来て、全ての子スズメを食べてしまう。

② 我慢の限界を超えた親スズメは鬼退治を決意し、鬼たちの住まう館に向かう。

③ スズメの決起に賛同する仲間(木の実・縫い針・ムカデ・牛糞・荒縄・臼)が続々と集結する。

④ 仲間の職能を活用し困難を克服。鬼の館を急襲、見事に鬼を打ち取る。

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 昔話とは、正史には載らない『普通の人々』の歴史が暗に記録されているという。

 文字の読み書きもままならない『普通の人々』は、口伝・口承で、代々そのテクストを紡いできた。もちろんその過程で、面白おかしく誇張されたり、表沙汰にできない案件を、別の何かに置換・象徴する作業も行われてきたであろう。

 さて、先に紹介した鬼退治の話は、一般的にいわれている『まつろわぬ民』を〝征伐〟した武勇伝であろうか? 私は逆ではないかと考える。

 まず、①の「毎年鬼が来て、子スズメを食べてしまう」というのは、毎年の厳しい年貢の取り立てを暗示している(米とスズメは密接な関係にある。例えば、『スズメとキツツキ』『舌切り雀』など)。次に、③の「仲間」は、鬼退治に加勢した人々の職業や地位を換喩しているのではないだろうか(例えば、山での職業従事者を『木の実』、職人を『縫い針』など)。牛糞、荒縄などは、必ずしも身分の高い職業ではなかったであろう。

 つまりこの鬼退治は、悪政に苦しみ、虐げれれてきた『普通の人々』が団結し、そして決起した〝一揆〟の話と考えられる(反乱である以上、鬼に代わる革命政権が誕生した可能性も内在されている)。


 人類学の泰斗である J.G.フレイザーが発見し『金枝篇』で描いた有名すぎる人類共通のテーゼがある。「森の王は殺されなければならない。森の王を殺す者は逃亡奴隷でなければならない」というものである。『森の王(権力者・為政者・支配者)』を『鬼』に置換できることは、もはや想像に難くない。とするならば、『逃亡奴隷』は鬼に抵抗する『スズメ(やその仲間)』に置換可能であろう。

 以上を踏まえて、現在のアクチュアルな問題としての『鬼』を考えてみると、それは『自公政権』や『小池都政』であろう。そして『スズメ』とは、昔も、そして、今も、我々のような悪政に苦しむ『普通の人々』に他ならない。

 テーゼに従うならば、スズメである我々は鬼を退治し、森の王の政治を打倒しなければならない。その手段として我々に与えられたシステムが選挙という金枝である以上、少なくとも私は投票に行く。スズメが永遠に荒野を彷徨う逃亡奴隷にならないために。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。 

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