『小さいおじさん』の正体とは!? にゃんにゃん民話館②!!

 『小さいおじさん』の目撃談は、なぜか若い女性からの発信が多いようです。現代の医学では『小さいおじさん』が見える原因を「レビー小体型認知症」による幻覚と説明することが多いようですが、レビー小体型認知症は、高齢者が発症する例が多い症状なので、若い女性の目撃談が多い『小さいおじさん』の説明をするのには難があると思われます。

 そうしますと「思春期の少女に特有の、精神の不安定からくる幻覚」という論調が多くなりますが、そのトリガーになる事がらを明確に説明できるにはいたっていません。

 そもそも『小さいおじさん』は今に始まった現代病的な事象なのでしょうか。

 前回の『鬼』同様、昔話のフィルターを通すことで、私は『小さいおじさん』出現のメガニズムを考察したいと思います。


 まずは興味深い昔話が2話ありますので、あらすじを紹介します。


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サンプル1

① 家族3人が山奥の炭焼き小屋で暮らしていた。

② 父と母が里に炭を売りに行くため山を下りる。

③ 娘は小屋の戸締りをしっかりし、1人で留守番をする。

④ 囲炉裏の中から娘の前に、人型の小さい何かが現れる。

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サンプル2

① 若侍の元に幼妻が輿入れしてくる。

② しばらく暮らした後、若侍は戦さに徴兵され、家を留守にする。

③ その夜から幼妻の寝室に、人型の小さい何かが現れる。

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 さて、上記2話を検証しますと、ある共通点が見えてきます。炭焼きの娘も、寝室の幼妻も、1人で密室性の高い空間にいるということです。現代の若い女性の小さいおじさん目撃談も、「自室」「勉強部屋」「入浴中」など、密室性の高い空間での目撃談が多いのが特徴といえます。

 また、あえて上記サンプルに記さなかった共通点があります。それは『禁忌(タブー)』です。

 サンプル1では、親が娘に「囲炉裏の火に木の実を入れてはならない」というタブーを課します。サンプル2では「使った爪楊枝は、折ってから捨てなければならない」というタブーが課せられています。両話とも、孤独に追い込まれた若い女性は、おじさん出現前にタブーを犯してしまいます。

 『小さいおじさん』を目撃したという現代の若い女性も、密室性の高い空間で、タブーに該当する何かを行なっていたのでしょうか? 例えば、親に隠れてタバコを吸っていたとか、友達の悪口をSNSに書き込んでいたとか(それとも、心の中でタブーに該当する何かを想像したか…)。


 ではなぜ、そもそも若い女性は密室で1人にさせられるのか? 

 次のサンプルを踏まえて考察してみましょう。


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サンプル3

① 一番鶏がなく時刻、門口に矢が刺さっていた家は

  娘を人身御供(生贄)として山の神に差し出さなければならない。

② 生贄に選ばれた娘(乙女)は供物とともに山に運ばれ、1人で社に入らなければならない。

  運び手の村人たちは神の姿を見てはいけないので、山に留まってはいけない。

③ ①②の話を聞いた旅の僧は、生贄の乙女を不憫に思って身代わりを申し出る。

  乙女に変装した僧は、山の社に入れられる。

④ 仏の加護を受けて、僧は山神を退治する。

  退治された山神の正体は猿だった。

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 サンプル3は全国に広く分布する『猿神退治』のお話ですが、少女が密室で1人になるという行為は、神の妻になる(場合によっては、共同体からそれを強要される)儀礼である可能性が高いといえそうです。サンプル3の乙女も、密室(社)で1人になることが前提で、そこに山神が登場するという展開ですが、山神を退治したのが僧であることが象徴的です。ここでは古い価値観(猿神=土着の神)を新しい価値観(僧=仏教)が駆逐していますが、このお話は、遥か昔から行われてきた『聖婚』や『神殿娼婦』を寓話化した説話で間違いありません。聖婚や神殿娼婦は、氏族や部族の発展(豊穣や多産)のための儀礼で、どこの国や地域でも行われてきました。数年前に上映された『ミッドサマー』をご覧になった方ならピンとくるでしょう。部族的儀礼と狂気は隣り合わせです。


 小さいおじさん(イマジナリーコンパニオン)は、それを目撃した人の個人的な問題ではない、と私は考えます。

 モノに〝かかった〟から小さいおじさんが見えるようになったわけではなく、共同体内部の『神懸り』や『憑き物筋』の少女を生贄や巫女として差し出しすことが前提で、もし該当する少女がいない場合、特殊な方法で少女に対し孤独や禁忌を発射し、神懸り的な精神状態に追い込んでいく。

 現在の社会集団や情報社会、家庭環境などでは、無意識的にではあるが、少女を孤独に追い込んだり、禁忌のような考えを押し付け、そして押さえつける。その結果、知らず知らずのうちに少女は神懸りになってしまう。

 時代の変わり目ごとに仏教や義務教育、女性参政権などの新しい価値観も磔上されてきたのでしょうが、若い女性に迫り来る役割と禁忌(結婚や出産も含む)、そして狂気。それらの役割を社会集団が強要する限り、少女は人身御供にされ、小さいおじさんは目撃され続けるでしょう。

 良識に則って伝統を守る、という範疇での家伝の伝承や祭事をする事に対しては、私も積極的に賛成できます。ただし、古い価値観の強要だけは終わりにしなければ、神懸り的少女は犠牲にされ続け、ムラ社会の選民思想やそれに伴う女性軽視は永遠に続くことになります。

 孤独、禁忌、狂気が揃ったその瞬間、少女は誰でも、生贄の巫女にされてしまうのです。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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