にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ドッペルゲンガー・最終章~

 一昔になりますが、契約書などの、専門的な書類の翻訳のお仕事をされている方から、アルコール度数の高い酒ばっか飲んでいそうな、緯度の高い国(ないしは地域)の、「愚かな領主と賢い農民」をモチーフにした民話を教えてもらった記憶がうっすらとあります。お話の筋としては、

 以下あらすじ↓


 1. 権力を濫用して、不正や贅沢を繰り返す領主を、賢い農民が批判する

 2. 領主は農民を逮捕拘束し、刑罰として「舌を三枚切り落とす」と宣言(言論や表現の自由に対する「弾圧」のメタファーか?)

 3. 農民は領主に対し

   →舌は一枚しかない →一枚切ったら残りの二枚が切れない →刑は執行できず、領主の権威が失墜する……という論法を展開

 4. 権威の失墜を恐れた領主は、農民を解放する


 このお話のテーマは、力で弱者をねじ伏せるという〝権力の暴力性〟や、体面のために「一度言ったことを撤回しない」という、〝為政者の愚かしさ〟が主要なテーマになっていると思います。そして、その愚かな領主より、庶民の知恵が勝るという、表立って語られてこなかった革命史観が内在されている感じがします。

 ひょっとしたら、日本の昔話や民話にも、似たお話は多くあるのかもしれませんが、現代の日本の権力者の愚劣具合もなかなかのモノですよね。

 暴力傾向の強い発言が多く、昔から嘘つきとされ、意味不明なニタニタ笑いを繰り返す。そして、「謝ったら死ぬ病」。民話の世界なら「狐憑き」とされるような有り様ですね。

 この国は一応、主権在民です。愚かな領主様を退治してくれる賢い農民がいないのなら、私たち一人ひとりが少しずつ勇気を出してあって〝狐に憑かれた女王様〟に「NO!!」を叩き付けるしかないのだと思います。それは大きな声でなくても構いません。友達や恋人と、喫茶店の片隅で、コーヒーを飲みながら、とても静かに、でも。

 サルトルが言うところの「アンガージュマン」とは、そういう小さな現実への関わり方なのかもしれません。つまり、自分の舌を使って、ほんの少しだけ世界に「関与」することです。ちょっとだけ現実にかかわる、ささやかな舌の使い方で。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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