僕の世界は、つまるところ、僕の目に入っている範囲でできています。仕事の資料に、ちょっと冷めたコーヒー。そしてソファの端で「ここが定位置ですけど?」みたいな顔をして丸まっているチャーリー。はい、だいたいこれで世界の全景です。
ニュースを開けば、正義だの危機だの絶望だの、やたらスケールの大きい言葉が元気よく走り回っています。僕たちは、世界を言葉できれいに切り分けようとして、そのときにこぼれ落ちた「切り分けられなかった部分」を、後から踏んづけて痛がっているのではないでしょうか。政治の話も、将来の不安も、言葉にしようと頑張るほど、なぜか核心から遠ざかっていく。そんな気がしてなりません。
別に、世界を冷ややかに眺めているわけではありません。むしろ、論理や理屈が届かない場所のほうが、案外いいものが転がっています。たとえば、冬の低い日差しが猫の毛をちょっとだけ金色に見せる瞬間。何も言っていないのに、チャーリーが「今だな」と判断して急にお腹の上に乗ってくる、あのずっしりした温もり。そこには正解も不正解もありませんが、下手な理論書一冊分くらいの納得感は、余裕であります。
また新しい年がやってきます。きっと今年も、世界には新しい名前や説明書きがぺたぺたと貼られていくのでしょう。でも私は、ひげをぴくぴくさせているチャーリーの隣で、私の世界を観想したしです。難しい理屈を全部脱ぎ散らかしたあとに残る、この静かな日だまり。
たぶんそれが、今のところ私がいちばん信用している「真実」です。 少なくとも、チャーリーはそういう顔をしています。あっ、どうも岩崎(チャーリーの飼い主)です。
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