にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険   ~エクリチュール~・第4話『プロテスト・レイヴ』

 3月終わりの日曜日、新宿駅東南口。巨大なデジタルサイネージと、絶え間なく流動する群衆という記号があふれるその場所で、突如として重低音がアスファルトを揺らしました。反戦や反差別、現政権への異議を訴えるその多くは20代を中心とした若者たちであり、若年層の多くが現政権を支持しているとされる世論調査に、一石を投じるような光景が広がっていました。

 また、そのデモの形式も、従来の道路を列をなして歩きながらシュプレヒコールを唱えるものとは一線を画しています。それは言葉による説得を半ば手放したかのような、身体による異議申し立て――いわゆる『レイヴ(テクノやハウスなどのクラブサウンドを流すパーティ)』です。

 1990年代、日本各地で隆盛を極めたレイヴ文化も、2000年代に入ると急速に下火になった感がありました。結局のところ、日本には「カラオケ文化」が深く定着しており、「歌」を欠いた純粋なクラブサウンドは、音楽ビジネス的にも、あるいは民族的な嗜好の面ににおいても、真の意味で受容されにくかったのかもしれません。

 なぜ、この『プロテスト・レイヴ』は、渋谷や六本木ではなく新宿で行われたのでしょうか。そこには、1960年代から70年代にかけてのジャズ喫茶の文化や、中上健次の文学に代表されるカウンター・カルチャーの記憶が、今なお地層のように積み重なっているからでしょう。

 新宿には「バルト9」という映画館がありますが、私はこの名を聞くたびに、ある人物を連想してしまいます。

 記号学者、ロラン・バルトです。

 ロラン・バルトは、意味が固定され、硬直化した言葉からの「亡命」を夢見ました。政治的なデモといえば、通常はプラカードといった明確なシニフィエ(意味内容)を持つ記号の応酬になりがちです。しかし、この広場を震わせるビートの連なりは、意味以前の衝撃として、都市の〝ノモス〟を一時的に無効化していきます。

 かつてバルトが見た東京は、中心が空虚な記号の迷宮でした。新宿という消費の象徴的空間において、踊るという「非生産的な行為」を突きつけることは、都市の機能を効率的な「移動」から、無償の「祝祭」へと塗り替える、極めてエクリチュール的な挑発といえます。

 本来、広場は人々の対話や休息のために存在する〝ピュシス(自然)〟に近い空間であるはずです。しかし、現代の都市計画においては、あらゆる場所が効率と監視というノモスによって管理されています。このレイヴという現象は、管理された空間に「ノイズ」を介入させることで、私たちが失いかけている身体の自由を奪還する試みとして解読できます。

 一方、我が家のチャーリーは、掃除機の作動音にさえ敏感に反応し、すぐさまテーブルの下へ身を隠してしまいます。彼にとって、この新宿を揺らす重低音は「抵抗」の狼煙ではなく、ただの不穏な「逃走」の合図にすぎないのかもしれません。

 けれど、権力が網の目のように張り巡らされた現代社会において、正面からぶつかるのではなく、チャーリーのようにしなやかに「意味の圏外」へと逃走するセンスこそが、真の自由への鍵となるのではないでしょうか。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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