にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険   ~エクリチュール~・第6話『作者の死、あるいは【地図と領土】』

 「お答えは差し控えます……」

 国会での答弁や質疑の場、あるいは政治家や官僚の記者会見で頻繁に耳にする言葉です。最近でも「自衛隊の歌姫」が自民党の集会という政治的な場で「国歌」を歌い、それが問題化した際、陸自の幕僚長が「お答えは差し控えます……」と発射し、誤爆炎上していました。

 はっきり言って、このような言葉を口にするだけであれば誰にでもできます。主体を放棄し、言葉から体温を奪うその様は、まさに〝発言者の死〟であり、記号論的な意味での〝作者の死〟であると言っても過言ではないでしょう。

 しかし、本来ここで求められるべきは、単なる沈黙ではなく、言語の責任を引き受けた誠実な〝白いエクリチュール〟であるはずです。主体を過剰に主張することなく、それでもなお意味の生成を放棄しない――そのような書き方です。

 にもかかわらず、彼らの「お答えは差し控えます……」という態度は、意味の生成そのものを停止させ、言語の責任をどこにも帰属させないという点で、言語を内側から窒息させる歪んだ沈黙にほかなりません。

 ロラン・バルトは、その名も『作者の死』という論文において、テクストの主体は作者ではなく読者の側に移ったと宣言しました。バルトが参照した詩人マラルメは、語るべきは作者の個我ではなく「言語そのもの」であると説き、エクリチュールから作者という独裁者を追放しようとしました。

 さて、僕は記者会見での幕僚長の答弁を聞き、その言葉に強烈な〝死〟を感じたとき、長年喉に刺さっていた魚の小骨が氷解するような感覚を覚えました。それは、『地図と領土』(ミシェル・ウエルベック/ちくま文庫)という作品が、なぜこれほどまでに高く評価されているのかという謎に対する答えです。

 はっきり申し上げまして、僕は本作がゴンクール賞を受賞するほど支持された理由を、これまで完全には理解できていませんでした。物語は主人公ジェドの半生を、喜びや悲しみを極力抑えた、まるで報告書のような文体で淡々と書き綴ります。

 しかし第三部において殺人事件が発覚し、作者の筆は突如として躍動し始めます。その被害者こそが、他ならぬ「ミシェル・ウエルベック」本人なのです。ウエルベックは、文学上の概念としての〝作者の死〟を、作中で自らを殺害するという極めて物理的な手法によって、別の階層へと押し上げたのではないでしょうか。

 おや、今夜もチャーリーが晩酌の催促をにゃーにゃーと言っています。「今夜は鶏のささみ、それとも鰹のタタキ!?」その問いに対しては、「お答えは差し控えます……」あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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