にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ザ・ゲーム~・第10話 『箱男、非対称性、あるいはシンデレラ・フィット』

 僕は20代の頃、安部公房にどハマりしていた時期がありました。特に好きだったのは『壁』『夢の逃亡』、そして『箱男』(いずれも新潮社)です。そのポストモダン的な発想と、純文学にありがちな、読む者そのものが試されているかのようなスリリングさが僕の若気の何かを刺激しました。その『箱男』は石井岳龍監督によって2024年に映画化されましたが、実は僕はまだそれを観ていません(ファンの心理とは複雑なものです)。

 箱男とはダンボール箱をすっぽりとかぶり、小さな覗き窓から一方的に世界を観察する、他者からは見えない観察者です。厳密にいうと、他者は箱男が見えてはいるのですが、それが存在しないものとして日常生活を送っています。本来、箱をかぶっている人がその辺にいたらジロジロ見てしまうでしょうし、何なら通報もんです。しかし箱男は他者には知覚されず、認識もされない存在(もちろん実際には存在しているのですが、社会的には「存在しないもの」として扱われるという倒錯が、この作品の不気味さでもあります)として、他者の生活を箱の狭い覗き窓から観察し続けます。見る者と見られる者の関係が逆転するあの不気味で魅力的な世界観は、半世紀の時を超えていまなお強い異彩を放っています。

 しかし、現実社会に目を向けてみると、いま私たちが生きるこの日本社会こそが、まさに箱男の世界そのものに変貌しつつあることに気づかされます。先日の国会で強行可決された盗聴法や個人情報の売却といった悪法は、国家権力が市民生活を一方的に監視するための巨大な覗き窓です。そして、権力者は「権力」という名のダンボール箱に入っている限り、市民やジャーナリズムの目には映らない存在であるかのように振る舞います。裏金を貰おうが、悪法を可決しようが、屁とも思っていないようです。

 たまに疑惑や不祥事を追及される最高権力者もいますが、分厚いダンボールの箱の中に閉じこもり、下界からの視線を完全にシャットアウトし、「記憶にない」「面識がない」というお決まりのセリフでお咎めなし。権力側は市民を丸裸にして監視し、自分たちは不透明化される箱の中に隠れる。この歪んだ〝見る/見られる〟の非対称性こそ、現代の不条理劇に他なりません。

 人間の世界が保身と監視の箱で溢れかえる中、我が家にもまた、生粋の「箱男」ならぬ「箱猫」が存在します。通販のダンボールが届くやいなや、吸い込まれるようにシンデレラ・フィットで収まるチャーリーです。

 政治家の箱は汚職と嘘を隠すための醜い道具ですが、チャーリーの箱は純粋な好奇心と安心の聖域です。箱の隙間から覗く彼の澄んだ瞳には、一分の嘘もありません。今夜もその嘘のない視線に見守られながら、美味いお酒を一杯やるとしましょう。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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