にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険  ~ザ・ゲーム~・第11話  『マッシブ・アタック、あるいは人間の終焉』

 先週末、僕は部屋でAmazon Prime Videoの生配信を開き、フジロック・フェスティバルの画面に見入っていました。緑に囲まれた苗場の熱気の中で、最終日のGreen Stageのトリを務めたMassive Attack(マッシブ・アタック)のステージは圧倒的でした。重厚な重低音とともに背景の巨大スクリーンに映し出されたのは、政権批判、ファシズム、個人情報の売却、監視社会、そしてパレスチナの残酷な現実といった、私たちが現在進行形で直面している社会的・政治的なファクトの数々でした。

 「音楽に政治を持ち込むな」という使い古された呑気な批判を、彼らは圧倒的な音響の暴力と現実の突きつけによって一瞬で蹴散らしてみせました。アルゴリズムや監視システム、さらには国家による生権力の行使によって、現代の人間はデータとして分解され、ただの消費対象や管理目標へと貶められています。かつてミシェル・フーコーは『言葉と物』の末尾で、近代が作り上げた「人間」という存在は波打ち際の砂の顔のように消え去るだろうと予言しましたが、スクリーンに流れるデジタルな記号群と戦争の映像は、近代が前提としてきた「人間」という概念そのものが揺らいでいることを思わせました。

 権力者が国会で虚妄の言葉を重ね、国民が無関心という名の奴隷道徳に逃げ込もうとする中で、彼らのステージは「お前たちが生きているのはこの不都合な現実の中だ」と強制的に目を覚まさせる、真の表現によるリアル・ファイトでした。どれほど政治が不透明な箱に閉じこもろうと、あるいはテクノロジーが人間性を解体しようと、表現はファクトを照らし出し、私たちを現実に引き戻すことができるはずです。

 画面の中でスクリーンが放つ強烈なメッセージと重低音に僕が息を呑んでいたその傍らで、我が家のチャーリーは、そんな人間の政治劇などどこ吹く風といった顔で横たわっていました。しかし彼もまた、僕に対して別の意味でのMassiveなアタックを繰り出してきます。早朝5時ピッタリに繰り出される「飯を出せ」という物理的な頭突きや、みぞおちへの容赦ないマウントパンチです。

 世界がどれほどファシズムや監視社会の闇に向かおうとも、あるいは概念としての人間が終焉を迎えようとも、チャーリーの突きつける圧倒的な実体の要求と、彼を守るための愛おしい生活だけは絶対に譲るわけにはいきません。今夜も真実の重低音(チャーリーの喉のゴロゴロ音)を聴きながら、冷えたビールで乾杯するとしましょう。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。

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