先日のことです。ディストピア化が進む不条理な社会情勢の中で、僕はひと時の静寂と癒やしを求め、SOMPO美術館で開かれている『山口華楊展』へ足を運ぶことにしました。山口華楊は、写実と近代的な造形感覚を融合させ、花鳥画や動物画に新たな息吹を吹き込んだ京都画壇を代表する日本画家です。
会場に並ぶ作品の前に立つと、ソフトフォーカスのようなほんわかとした温かな画面の中に、まるで生きている聖獣のような動物たちが静かに浮かび上がっていました。それらの澄んだ眼差しはこちらをじっと見つめ、絵を見ている僕と静かに目が合います。そこにあるのは、どこまでも穏やかで優しい眼差しです。とりわけ親子で描かれた動物たちの姿には、言葉を超えた無償の愛の温もりが満ちていました。一方で、背景に木々が描かれた作品では、葉っぱの配置にリズミカルな構成美が宿るものの、『樹』や『青蓮院の老木』といった大作には、キュビズムや西洋絵画の影響を感じさせるような、力強く「ゴリッ」とした圧倒的な物質感が漂っていました。
展示されている猛獣たち――虎やライオンでさえどこか愛らしく映る中で、唯一異彩を放ち、悪そうな顔をしていたのが『黒豹』でした。その研ぎ澄まされた鋭く不穏な顔つきは、まるで手塚治虫の漫画に登場する狡猾な悪役を連想させます。画面の中からこちらを睨みつけるその姿に、僕はふと、いまの政権や政治家たちの顔を重ねずにはいられませんでした。平気で嘘を重ね、国民の生活や命さえコストとして切り捨てながら、自らの利権と権力にしがみつく大人たちのグロテスクな表情。それはまさに、暗闇の中で自らの欲望のために爪を研ぐ『黒豹』の冷酷さそのものではないでしょうか。
政治家たちの醜い顔や、嘘に満ちたニュースの言葉に息が詰まりそうになりながら、僕はふたたび、華楊の描いた穏やかな動物たちの眼差しへ視線を戻しました。そして気づけば、一刻も早く家に帰り、僕を待っているチャーリーを強く抱きしめたいという衝動に駆られていました。
虚飾に満ちた現実の暗闇を抜け出し、部屋のドアを開けると、そこにはどんな名画よりも愛おしい本物の命が待っています。今夜も僕を見つめる無垢な聖獣を胸に抱き、その温かな体温を感じながら静かに乾杯することにしましょう。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。
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