内閣広報室の予算が前年の十倍にも上る約七十二億円へと膨れ上がり、裏金問題に塗れた議員や特定の政党との野合による入閣の噂が囁かれています。国家の衰退を早めるような愚行を平然と繰り返し、それを巨大な広報費で塗り固めようとする政治家たちの姿は、かつてラジオや映画を駆使して国民を狂熱と破滅へと駆り立てたナチス・ドイツのプロパガンダ手法そのものです。また、その虚妄の政治を無批判に支持し、熱狂する人々の姿を見ていると、ギリシャ神話で魔女キルケーの毒杯を飲まされ、理性を失って豚へと変えられた男たちの物語を思い出さずにはいられません。
さらに恐ろしいのは、沖縄県知事選などを巡ってネット上に飛び交う悪質なデマや陰謀論に、いとも容易く騙されていく人々の存在です。特定の政党やカルト的なイデオロギーを盲信し、排外主義やヘイトを撒き散らすネット右翼たちは、自分たちこそが「真実を知っている」と思い込んでいます。けれど、自らの都合の良い幻想にしがみつき、ファクトから目を背けるその姿は、狂熱の中で思考を停止させた哀しい群集の肖像でしかありません。
こうした不気味な狂騒の時代を生き抜くために、僕は最近読んだ『懐疑論』(中公新書/古田徹也)という著書に深い感銘を受けました。古代ギリシャのピュロン主義から現代哲学に至る「懐疑」の系譜を解き明かした本書は、まさに現代人が直面している知的危機への処方箋です。陰謀論者やカルト信者たちは一見すると世の中を疑っているように見えますが、その実態は単なる「別の独断への盲信」に過ぎません。真の「懐疑論」とは、不信に陥ることではなく、性急な断定を避けて一度立ち止まり、「判断を保留する〝エポケー〟」という誠実な姿勢のことだからです。いまの僕たちに必要なのは、過激な不信ではなく、自分の足元でファクトを確かめるための静かな「懐疑論的眼差し」ではないでしょうか。
自宅のデスクで膨大な情報と向き合いながらふと横を見ると、チャーリーが僕の差し出したカリカリを、一秒ほど鼻先で慎重に匂いを嗅ぎ、安全だと確かめてからゆっくりと口に運んでいました。
十倍の宣伝費で塗り固められた世界や、ネット上のデマの嵐を前にしたとき、僕たちが持つべきなのも、この小さな猫のような「まずは一歩立ち止まって確かめる」というささやかな知性なのだと思います。今夜も虚妄の言葉に惑わされない健全な正気を讃えて、チャーリーとともに静かにグラスを傾けることにしましょう。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。
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