プチ鹿島さんの【教養としてのプロレス】(双葉文庫)を読んで

 最近、安倍政権ってリック・フレアーみたいだな~ と感じます。モリ・カケ・サクラ等々、何度となくピンチを迎えるのに、のらりくらりとかわして、気がついたら王座防衛。もちろんヒールが悪ければ悪いほど観客はヒートアップするし、マスコミも盛り上がります。集客率(視聴率・購買数)も上がります(桜を見る会の観客には応援団という名の“サクラ”もいた様ですが)。それに引きかえ野党は “善戦マン” といわれた若かりし頃の故・ジャンボ鶴田だな~ と感じます。いいところまで追い詰めるのですが、結局王者に逃げ切られてしまうという…。とはいえ、ジャン鶴も一度はAWAチャンピョンに輝いたもんですが、あっという間の短命チャンピョンで終わってしまうのも野党だな~ といった感じです。あっ、どうも岩埼(男の方)です。

 そんなわけで、今回ご紹介させていただく本はプチ鹿島さんの【教養としてのプロレス】((双葉文庫)という本です。

 【教養としての~】は、プロレスというフィルターを通して世間を見れば、もっと世間を面白く見ることができるのでは!? という啓蒙本です。0か100か、白か黒か、と物事を二元論で捉えるより『グレーゾーン』や『半信半疑』をもっと楽しもうよ! ってな感じなのですが、それにはまず『プロレス脳』や『半信半疑力』を鍛えなければなりません。ゴールデンタイムで生放送していた時代からプロレスを観ている『プロレス者』は数々(リング内外)の人間ドラマや事件をみてきて(そして何度となく傷ついて)、週刊誌や専門誌で『答え合わせ』をしてきているので、ある程度この能力は備わっているかと思われます。ですのでプロレスを知らない人こそ【教養としての~】を読んで『プロレス脳』と『半信半疑力』を鍛えていただきたい! 世界が今より面白くなるはず(多少は)です!

 ごちゃごちゃ言わんと、まずは僕が【教養としての~】で秀逸だなと思ったテキストをご紹介させていただきますと、『あまちゃんとは越中詩郎の物語である』のパートです。

『あまちゃん』とはNHKの朝の連ドラとして高視聴率をマークした番組ですのでご存知の方も多いと思いますが、『越中詩郎』とは “ド演歌ファイター”  “戦う中間管理職” と評された白袴を履いたプロレスラーです。

 一見全く違うあまちゃんと越中。こじ付けに思われるかもしれませんが、あまちゃんと越中を比較検証、構造主義的に考察してみると、本当に『あまちゃん』とは『越中詩郎』だったのです! 下積み時代の苦労、泥臭いキャラに対するスタイリッシュなキャラの登場、コンビ結成、零細プロダクションetc. 両者が同じ道を歩んできたことが次々と証明されていく様は眼から鱗。本文を引用させていただきますと『「あまちゃんは今まで自分に自信がなかった人たちが、他者に受け入れられた嬉しさで変わり始める」物語だったのではないか』『あのハチマキ、白袴を着て、高田や前田のキックをバンバン受けたことで「受け入れられた」のだ。(略)~プロレスという長い人生の縮図において、越中は「自分は残念な存在ではない」ということを天野アキより先に体現していたのである』

 どうでしょう? あまちゃん=越中の本質をプロレスというフィルターを通して見事に解き明かしていますよね。あまちゃんと越中は『受け入れられる』事により『自分は残念な存在ではない』ということを体現(証明)していたのです。

 “高橋本” 以降、プロレスに関する書籍やムックは暴露本か事件本ばかりが出版されています(それはそれで面白い)が、『グレーゾーン』や『半信半疑』を楽しめてこそ大人だと思います。然るに、僕の言っていることも『半信半疑』で受け止めてくださいませ~。

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