中学生になる、ということ。
それは、誰にとっても大きな節目だ。僕にとっては、高校生・社会人になったときよりも重大な転換期になった。
六年間を過ごした校舎に別れを告げ、真新しい制服に袖を通す。いよいよ今日から、だ。
入学式。校長の祝辞のさなか、僕は見事にぶっ倒れた。
単に緊張していたせいもあるが、血の気が引くほどに『あること』を危惧していたのだ。まず、ジュンと同じクラスになれるのか。次に、小学校時代の一軍連中と距離がとれるのか。
(第4話『戦力外のイヤミ』参照)
結果、ジュンはA組で、僕はC組。一軍の半分以上がC組だった。最悪だ。
学区外から越境入学までして、ドツボにはまった。
ジュンと親友になったのは二年前、小五になってからだ。
十二歳にとっての二年間は、人生の六分の一。その六分の一の密度を、僕は信じた。休み時間や下校時、放課後は、変わらずジュンと過ごせると思っていた。
だがここに、クリーニング屋のユウキという『壁』が立ちはだかる。
同じA組のジュンとユウキは、瞬く間に意気投合し、ふたりで下校するようになった。ジュンと僕が不仲になったわけではなく、休み時間はジュン、ユウキ、僕の三人で過ごしていた。しかし、ふたりの会話に入っていけない場面が多くなった。
トオルを失ったことは、大きい。
一学期の中盤になると、孤立無援になった僕に一軍が目をつけ始める。
朝、下駄箱から上履きが消えていた。休み時間明け、教科書がゴミ箱に捨てられていた。誰も僕と口をきかない。用務員から借りた、来客用のスリッパ。その履き心地の悪さを、いまでも憶えている。
それだけで済めばよかった。
ある放課後、一軍のイナバが廊下で僕を突き倒した。フランケンシュタインにソックリな、大柄なヤツだ。壁に押しつけられ、逃げ場がなくなった、そのとき。「ここで負けちゃいけない」という焦燥に駆られた。
辺りを見回す。ぐるりと取り囲む野次馬のなかに、一軍で最も小柄なオガワがいた。
あいつから潰せばいい。あいつを泣かせたら、他のヤツは怯む。
「なに見てんだよ」と彼に因縁をつけ、僕はイナバの標的から外れた。そして、オガワが血を流して泣くまで、攻撃をやめなかった。野次馬は散り散りになり、何人かが教師を呼んできた。
もはや、イナバは呆然と立ち尽くすのみ。僕は呆然の胸ポケットから生徒手帳を引っぱり出し、窓外に投げ捨てた。それは、狙ったかのように池に落ちた。
職員室で、僕は担任に絞られた。「なぜやったのか」は訊かれず「なぜおまえが悪いのか」を切々と諭された。「胸に手を当てて、よく考えてみろ」。そう言われた。
この一件のことは、ジュンの耳にも入っていたはずだ。
だが、ジュンはユウキと遊ぶことに夢中だったようだ。もしくは、暴力を振るった僕を、非難がましく見ていたのかもしれない。
携帯電話を持たされていなかった僕は、公衆電話から沖縄に発信した。久しぶりでトオルの声を聞いて、泣けてきた。長距離なので、持っていた百円玉ぜんぶを費やしても数分しか話せなかった。それでも、充分だった。
これでまた、学校でも家でも泣かないままでいられる。
中学の三年間、僕は絶対に人前で泣かなかった。
このままではいけない。それは解っていた。
僕が発信したのは沖縄へ、だけではない。
小学校時代、自作の文章やマンガをジュンと見せあった。ラジオドラマ作りにも熱中した。ジュンへの発信ツールはコレだ、と、思った。
出版委員会と演劇部。僕はこのふたつに所属して、立て直しを図った。
酒井です。この記事は始めから書くつもりだったのですが。思った以上にダークになってしまった。しかも画像はウルトラ曇天。
とはいえ、次回からは読みやすい内容にできると思います。
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