きっかけは、一軍からの追放だった。
僕らは、ほんとうに友達だったのだろうか。
あの頃の僕らは、ほんとうの僕らだったのだろうか。
いまでもジュンと会っているのか、共通の友人に訊かれることがある。あんなに仲が良かったのだから、連絡を取りあっているのだろう、と。
結論から言うと、僕らはもう繋がっていない。何年も会っていない。
高校一年生の一学期は、ジュンのことばかり思い出していた。
その濃度も頻度も、徐々に薄れていった。
年に二、三度のメールのやりとり。
僕が東京に出てからは、それすら途絶えた。
最終話を長々と書いた。僕らがどうして離れ離れになったのかを、詳細に書いた。
だが、それは『夢を見ること』の着地点ではなかった。
「フィクションなのだから、大々的なフィナーレにしてしまえばいい」
そう言われても、そんな気持ちになれなかった。
少しだけ補足するならば、この一文を残しておこう。
高校生になってから一度だけ、ジュンを家族旅行に招待したことがあった。
旅先で信者と出会った彼は、僕らと同じ宿泊先ではなく、そのひとの家に泊まりに行ってしまった。ユウキが僕にとって超えられない『壁』だったのも、同じ理由だ。
子どもだった僕には、破戒の機会がなかった。彼らの戒律に背くことといえば、祝祭日の挨拶くらいだった。おとなになれば、そうもいかない。高校のうちから酒を飲み、煙草を吸い、何人かと付きあって別れた。まるで、一軍に戻ったかのようだ。
変わったのは僕であって、ジュンではない。
彼には定められた『生の根幹』がある。
内容は伏せるが、その揺らぎを一度だけ見た。だからこそ確信がある。
いまも彼は、彼らしく生きているはずだ。
「去年、エジプトに行ったんだ」
おとなになったジュンが言った。
面と向かって交わした、最後の会話。
「考古学者に憧れてたもんな」
解ってる。考古学なんて、関係ないんだろ。
エジプトはジュンの両親が出会った場所だと、小学生の頃に聞いた。
カープ、風呂掃除、紐つきの浮き輪。
裏庭の草いきれ、インド料理、蛍。
事あるごとに、ジュンとの記憶が甦る。
まえに、誰かが言った。
「ひとは成長するのではない。変わり続けるだけだ」
自分を押し殺したり、捻じ曲げたことはない。いまでも、僕はきっとイヤミだ。それを知らされたときから、変わり始めた。
これからも変わり続ける。
誰にとっても『あの頃の親友』がいるだろう。その記憶は、変わらない。
僕らは、ほんとうの友達だった。
2018/9/16、トオルがLINEをくれました。那覇の街は、引退を飾る安室奈美恵一色だったそうです。花火の動画のあとに、一言ありました。
「平成が終わるんだな」
こういうラストで申し訳ないです。どんなフィクションも、完全なフィクションにはなりませんね。
最後までお付き合い戴き、ありがとうございました。
酒井 臨
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